コミケの女神とコミュ障|2ちゃん馴れ初め風エピソードまとめ【職場では無口だが実は有名コスプレイヤー】

コミケの女神とコミュ障|2ちゃん馴れ初め風エピソードまとめ【職場では無口だが実は有名コスプレイヤー】

この馴れ初め話は著作権フリーで改変も自由・YouTubeの素材やSNSでご使用いただいても問題はありません。ただ以下のリンクを張っていただけたら幸いです。
はっくなび

「新しく入ってきた無口な子、ちょっと変?」

(登場人物紹介と出会いの導入。職場の空気、嫁子の第一印象、そして小さな“異変”まで)


開発部の片隅、誰も使わない古い窓際の席。そこが俺の定位置だった。パーテーションで区切られた自席から、音もなくコードを書き続ける日々。喋るのは、たまに来る営業のやつと、メールでのやり取りだけ。世間話? ランチの誘い? ない。

そんな俺の前に、「新人が来る」という話が持ち上がった。

「ちょっと変わった子らしいぞ。静かでさ、でも技術は確かなんだと」

最初にそう言ってきたのは後輩の前田だった。普段からSNSに張り付いてる奴で、誰かがカフェで何を食ったかまで把握してるようなやつ。俺とは正反対。

その「変わった子」が来たのは、6月のじめっとした火曜日。

地味な黒髪に大きめの眼鏡。まるで地味女子のテンプレそのものみたいな雰囲気。細い肩、スーツは新品っぽくて、ちょっとだけ丈が合ってない。顔を上げることも少なくて、目が合ってもすぐそらされる。

「新人の○○です、よろしくお願いします……」
「………………」

それだけ言って、あとは一言も発しなかった。上司の島田が「いろいろ教えてやってくれ」と言って俺のところに彼女を配置したのは、完全にミスだったと思う。

(俺だって、人と喋るのは得意じゃないんだぞ……)

でも、なぜか俺は、嫁子のことが少し気になった。
喋らないけど、すごく集中してコードを書いてる。資料の読み込みも速い。
そして──
「……あれ?」

ある日、嫁子が作った仕様書を確認していて、気づいた。

そこに書かれていたクラス名の一部が──
「Kirisame_Marisa」

(霧雨……魔理沙?)

(……おい、東方Projectのキャラ名じゃねーか)

間違いなく、意図して打ち込んだわけじゃない。変数名ミスだ。だけど、これがわかるってことは──

(この子、オタクか?)

気づけば、俺はちょっとだけ胸が騒いでいた。


「ミスですよね」って言ったら──

「……これ、ミスですよね。霧雨、魔理沙って」

俺は、なるべく柔らかくそう伝えた。周りに聞こえないよう、小さな声で。

嫁子は一瞬、肩を震わせたように見えた。
手が止まり、そして顔をゆっくりと、俺のほうに向けてきた。

「……見てたんですね」

その声は、本当に小さくて、でもどこか震えていた。
俺は急いで首を振る。

「いや、べつに責めてるわけじゃ……俺も好きだからさ、ああいうの」
(うわ、何言ってんだ俺)

けど、嫁子の顔がふわっと緩んだ。目の奥に、一瞬だけ光が見えたような気がした。

「……よかった……」

それからだ。嫁子が、俺にだけ少しずつ話しかけてくるようになったのは。


「この変数名、神ですよね……」と、まさかの笑顔

その日から、俺の開発席には変化が訪れた。

「このAPI……あの某ロボアニメの設定に似てません?」

「え、これって、そういうネタ入れてもいいんですか?」

「……あ、今のって、マミさんの最後みたいで……すみません、意味不明ですね……」

嫁子は無表情だけど、好きな話題になると急に喋りだす。そして、マニアックなところまでよく知っている。

(本当に、ただのオタク女子……それだけのはずなのに)

なぜか、隣でその話を聞いていると、俺の心はざわざわして仕方なかった。

「前田が言ってた“神レイヤー”って誰だろうな……この前のイベント、すごかったらしいよ」

ふと、後輩の前田が昼休みにそんなことを呟いた。
「ほら、この人。このポーズと造形、ガチじゃない?」

そのスマホ画面に映っていたのは──

(え……?)

──どう見ても、嫁子だった。


「あの写真、嫁子……だよな?」

(信じられない。でもどう見ても──。SNSに広がる衝撃の正体)


金曜の昼休み。食堂が混むのを避けて、自席でカップ麺をすする。
そんな俺の目の前で、後輩・前田がスマホを覗き込みながらニヤニヤしていた。

「先輩、これ見てくださいよ。マジで神ですから」

彼のスマホの画面には、都内某イベントの写真が並んでいた。ステージ前、光を受けてポーズを決めるレイヤー。衣装は軍服風で、金の装飾と白いマント。表情はクールで、まるで原作から抜け出したかのような完成度。

──だけど、顔をよく見ると……。

(……え、これ……)

「この人、ヤバくないっすか? “夜想のマリア”って名前で活動してるらしいですよ。今、界隈じゃ有名で、RTもバズってるんですよ。なんか、謎多き正体不明の人で……って、あれ? 先輩?」

俺は、その場に固まっていた。手にしていた割り箸がぽとっと落ちる。
思わずスマホを奪い取るように画面を拡大した。

(目元、口の形、鼻筋……間違いない。これ、嫁子だ)

地味で無表情で、声も小さくて、人と目を合わせるのすら苦手なあの嫁子が──
ステージの真ん中で、堂々と目を細めて観客を見下ろしてる。

(別人……じゃないよな……)

その日は仕事が手につかなかった。


「嫁子、あれ……本当にお前なのか?」

何日か迷った末、俺は思い切って本人に訊くことにした。

夕方の事務所。ほとんどの社員が帰ったあとの静かな時間。
パソコンを落としかけていた嫁子が、隣で静かに立ち上がる。

「……嫁子。ちょっと、話が」

彼女はきょとんとした顔で振り返る。

「な、なんですか……?」

「これ……見たんだ」

スマホをそっと差し出す。SNSの投稿、レイヤー“夜想のマリア”。
見覚えのあるその写真。

嫁子は、一瞬で顔を真っ赤に染めた。

「……っ……っ……」
そして──

「……見ました?」

絞り出すようなその声。目は泳ぎ、手が震えていた。
俺は急いでフォローを入れる。

「ごめん、責めてるんじゃない。ただ……すごいと思って」
(なんでこんなに緊張してんだ俺……)

でも、嫁子はぽつりと呟いた。

「会社では、黙ってようと思ってたんです」


「でも……生きてる実感、あれだけなんです」

しばらく黙った後、嫁子が話し出した。

「子どもの頃から、誰かに見られるのが怖くて。声が小さいのも、人と目を合わせないのも……嫌われるのが怖いからで……」

「でも……衣装を着て、カメラの前に立ってると……誰かになれるんです。世界に一人だけの“誰か”に。あの時間だけは、私……生きてるなって」

(胸に何かが突き刺さる)

「……それ、すごいことだと思う。俺にはそんなふうに、なれるものないからさ」
(思ってた以上に、強い人だったんだな……)

嫁子は黙って、俺の顔を見ていた。何か言いたげで、でも言えないまま。

「……言わないでくださいね。他の人には……絶対に」
「言うわけない」

(……俺だけが、知ってるんだ)


「仕事でミスしたあの時、俺は……」

(日常に起きた小さな事件。それが“守りたい”という感情を初めて突きつけてきた)


その週、開発部はちょっとした火の車だった。

取引先に提出した設計資料の一部に、誤解を招く文言があったとかで、営業部からクレームの嵐。責任者の島田部長は「すぐに確認して修正しろ!」と朝から声を荒げていた。

問題のファイルを開いて、仕様を確認して、影響範囲を調べて──
そんな作業を黙々とやっている中で、ふと見えたのは、隣の席で青ざめた顔をしている嫁子の横顔だった。

「……もしかして、あの仕様書、嫁子が?」

(いや、落ち着け。全部の責任をひとりに押しつけるな。ちゃんと確認しろ)

だが、確かにそのセクションの記述は嫁子が担当した部分だった。

彼女は肩を震わせながら、ノートPCの画面を睨んでいた。
目の奥には涙すら滲んでいた。

「……嫁子」

俺は、誰に聞かれるでもないよう小声で呼んだ。

「……すみません、私、たぶん……書き直すべきだったのに……あのまま出してしまって……」

「……正直、影響出てる。でも、嫁子だけのせいじゃない。レビューする俺の責任もある。だから、俺も一緒に謝る」

「えっ……」

「俺が責任者だって、言っとく。今回はそれで通す」


「どうして、そんなこと……」

昼過ぎ、取引先への説明を終えて社内に戻った俺に、嫁子がぽつりと尋ねた。

「……どうして、そんなことしてくれるんですか?」

(その目はまっすぐで、でもどこか怯えていて。拒まれることに慣れた人の目だった)

「……俺、わかる気がするんだ。声を出すのが怖いとか、人の前に出るのが苦手とか……。昔、俺もそうだったから」

「……今もじゃないですか」

「まぁな」

(思わず笑ってしまった。けど、それに合わせて嫁子が、少しだけ笑ったのを見た)

「……でも、そうやって、自分を隠して、守って、それでも何かに夢中になって……そうやって必死に生きてる人って、すげーと思うよ」

嫁子は黙っていた。でも、その目は、少しだけ潤んでいた。


「誰かに、見られて恥ずかしいって……」

その日の夜、俺はなぜか家に帰ってからも胸がざわざわして眠れなかった。

ただ庇っただけだ。仕事上の判断として当然のことをしたつもりだった。
でも、あの時の彼女の目、言葉、揺れる声が、ずっと頭から離れなかった。

そして翌朝。

出社すると、嫁子がいつものようにPCの前にいた。でも、俺の顔を見ると──ほんの少しだけ、照れたように目を逸らした。

「……昨日は、ありがとうございました」

「いや、気にすんな。俺もミスあったし」

「……あの、ちょっと変なこと言っていいですか?」

「なに?」

「……誰かに、見られて恥ずかしいって……初めて、思ったんです。昨日」

(それは、きっと──)

「今まで、誰に見られても何とも思わなかったのに。昨日だけは、恥ずかしかった。……情けないって思われたら、どうしようって……」

「思ってないよ」

「……はい。でも、そう思えたことが……すごく、不思議で……でも、嬉しかったです」

嫁子は、ゆっくりと、俺に向かって小さく微笑んだ。

(あの無表情の彼女が、笑った)

それは──本当に、綺麗な笑顔だった。


「イベント、一緒に来ますか?」

(休日に誘われた。いつもと違う“嫁子”の顔を、見に行く)


ある金曜の夕方。定時が近づき、空調の風が少しだけ涼しく感じた頃、嫁子がぽつりと俺の方を見た。

「……あの」

「ん?」

「日曜日……イベント、あるんです。ビッグサイトで。コミック系の……大きいやつ」

(ああ、例のやつか。前田が「今年の夏は地獄だ」って言ってたあれだな)

「私は、“夜想のマリア”として、出ます。……その、来てみますか?」

その声は、普段よりも少し高くて、どこか緊張していた。
言い終わったあと、自分の膝の上で指をこすり合わせているのが見える。

「……俺が行って、いいの?」

「……嫌だったら、いいんです。無理にとは」

(いや、そうじゃない。行きたい。見たい。ちゃんと、本人の目で)

「行くよ」

俺は、思わず即答していた。

「……っ。そ、そうですか。じゃあ……えっと、チケット、手配しておきます。……あ、あと、熱中症対策、ちゃんとしてきてくださいね。会場、地獄なんで」


「本当に、あの嫁子なのか……」

そして日曜日。

会場に着いたのは午前10時すぎ。駅からビッグサイトまで、汗だくの人波に流されて、ようやくたどり着いた。もう既に気温は30度を超えていた。

「うわ……マジで地獄じゃん……」

とても「休日のイベント」なんて言えるレベルじゃない。戦場。そう呼ぶ方が正しい。

スタッフの指示に従いながら列に並んで、ふらふらしながら企業ブースを抜けて、やっとコスプレエリアにたどり着いた。

そして──

「……っ、あれ……」

目を奪われた。

白い軍服。肩には黒と金のエポレット。美しい金髪のウィッグが、日差しに光っていた。片手にはレプリカの銃、もう片方は腰に軽く添えられていて、まるで本物の軍人のような立ち姿。

そして、その中心にいたのが──嫁子だった。

(……すごい。これが……あの、地味で、声もちっちゃくて、目も合わせなかった嫁子か?)

表情は鋭く、強く、美しく、堂々としていた。
周囲にはカメラを持った男たちが列を作り、次々にシャッターを切っていた。

「マリア様! こっち向いてくださーい!」

「ウィンク、ください!」

嫁子──いや、“夜想のマリア”は、流れるようにポーズを変えながら、冷静に、それでいて妖艶に視線を向けていた。

(……別人だ。まるで、本当に二重人格みたいだ)

だけど、ふとした瞬間に、視線が俺を捉えた。

そして、小さく、ほんの一瞬だけ、微笑んだ。


「見せたかったんです。これが……私の、居場所」

その後、少しだけコスプレ広場の裏手に案内され、日陰のベンチで休憩をとることになった。

汗だくで息も絶え絶えの俺の横で、嫁子は着替えもせず、軍服姿のままペットボトルを飲んでいた。表情は、仕事中の彼女とは全く違っていて、どこか安心したようだった。

「びっくりしましたか?」

「……うん。正直、別人かと思った」

「ふふっ……たまに言われます。でも、これが……本当の私、なんです」

「職場の時と、ぜんぜん違う」

「隠してるだけです。……会社では、出すと浮くし、怖いから。でも、こうして衣装を着て、名前も“マリア”になれば……怖くないんです」

嫁子は、汗を拭きながら続けた。

「誰かに求められて、誰かが写真を撮ってくれて……“ここにいていい”って、思えるんです」

(ああ、この人は、本当にこの場所で生きてるんだな)

「……俺、ちょっと羨ましいかも。そんな“居場所”があるのって」

「……でも、今日は……先輩が来てくれて、私……すごく嬉しかったです。誰かに見られて、認められて、それが……現実の人だったから」

(現実……か)

「……次も、来てくれますか?」

「もちろん」

その返事に、嫁子は──
また、小さく笑った。


「打ち上げで、あの子が俺の手を握った」

(イベント後の打ち上げ。少し酔った彼女が、ふと漏らした“現実”への想い)


イベント終了後、まだ着替えていない嫁子と一緒に、最寄りのファミレスに向かった。コスプレエリアではあれだけ堂々としていたのに、駅までの道すがらはずっと無言で、帽子を目深にかぶってうつむき気味だった。

「……ごめんなさい。なんか、恥ずかしくなってきました」

「いや、全然。むしろ、すごかったよ。……本当に、尊敬した」

そう言った俺に、嫁子はちらっとだけ視線を寄こして、また顔を伏せた。

「……そう言ってもらえるの、嬉しいです。たぶん、すごく」


「マリアじゃない自分は、何もないんです」

ファミレスは、イベント帰りの人たちで賑わっていた。
隣の席からも「撮影列、マジえぐかった」だの「コスプレエリアの地面が溶けてた」だの、そんな会話が聞こえてくる。

俺たちは端の席に座って、ウーロン茶とポテト、唐揚げを少しずつつまみながら、ぽつぽつと会話を続けていた。

「衣装、あんなに重そうなのに……全然バテてなかったよな」

「ふふ……慣れです。何度も倒れかけてますけど」

「カメラ、めっちゃ並んでたな。あれ、どれくらい時間かけてるんだ?」

「1人30秒とか……でも、3時間くらいは……。ただ、あの時間だけは……生きてるって、思えるんです」

嫁子は、グラスを両手で包み込みながら、小さく笑った。

「マリアじゃない私には、何もないんです。地味で、口下手で、人の顔見るのも苦手で……。だけど、カメラ越しなら、堂々とできる」

「それって、すごく強いことだよ」

「強くなんかないです。現実から逃げてるだけですから」

(そう言いながら、ちょっとだけ目が潤んでいた)


「……現実で好きになったの、初めてです」

その後、料理を一通り平らげてから、俺たちは追加でドリンクバーを何度も往復していた。
そして、何度目かのジュースを取りに行って戻った時、嫁子の頬がほんのり赤くなっていた。

「……あれ、飲んでないよな?」

「すみません……隣の席の人が、間違えて注文したカクテル、私にくれて……ちょっとだけ」

「大丈夫か? 顔、真っ赤だぞ」

「……熱中症もあります、多分。今日、ずっと暑かったから」

(まぁ、そうか。けど……なんか、ちょっと可愛いな)

嫁子は、テーブルの上に手を出していた。ふと、その手が、俺の手に触れた。

「……!」

慌てて引こうとした時──
嫁子が、そっと指を絡めてきた。

「……あの」

「……?」

「私……“現実で好きになった人”、今までいなかったんです。全部、画面の中か、物語の中で……。でも、今は……ちょっとだけ、違うかもしれません」

(息が止まるかと思った)

「俺……で、いいの?」

「……うん。現実って、こんなに怖いのに……。でも、先輩なら、怖くないって……そう思ってしまったんです」

(言葉が、出なかった)

ただ、俺は──
その手を、そっと握り返した。


「会社では地味、家では女神」

その日、俺たちは別々に帰った。
でも、駅の改札前で別れる時、嫁子が小さな声で言った。

「……明日からも、変わらずでいてくださいね。職場では、いつも通りで」

「もちろん。……俺も、今まで通り、黙ってるから」

「……ありがとうございます。私のこと、知ってくれてるの、先輩だけでいいです」

帰りの電車。人混みに揺られながら、俺はずっと、その手の感触を思い出していた。


「誰にも言えないけど、俺たち付き合ってます」

(職場では何も変わらず。けれど、目が合うたびに心が熱くなる──そんな毎日)


月曜日。冷房の効きすぎたオフィスに、いつものように「カタカタ…」というキーボード音だけが響く。
俺は席に着くなり、無言でPCを立ち上げ、コーヒーを一口。

(……変わらない、いつも通りの朝。だけど──)

視線を感じて横を見れば、嫁子がこちらをちらりと見て、すぐに画面に目を戻した。
その頬には、ほんのりと朱が差していた。

「……おはようございます」
「お、おう。……おはよう」

(なんだこの距離感……。昨日、あんな話したばかりなのに)

たった一晩挟んだだけで、嫁子との距離が、ほんの数センチだけ縮んでいるように感じた。いや、物理的な距離ではない。心の奥に、なにか繋がっているような、そんな不思議な感覚だった。

けれど──
それを誰かに見られるわけにはいかない。


「何か……あった?」

昼休み。
いつものように俺は自席で弁当を広げ、前田は相変わらずスマホでSNSをスクロールしていた。

「先輩、なんか……雰囲気違いますね」

「え?」

「いや、なんか……目の奥が光ってるっていうか、リア充臭っていうか……」

(何その雑な分析……)

「気のせいだろ」

「そうですか? ……でも、なんか最近、あの新人さんも柔らかくなった気がします。ほら、あの無口な……あれ? 名前なんでしたっけ」

「知らねぇよ、そんなもん」

「冷たっ!」

(……危なかった。ニブいのに、無駄に勘がいいんだよな、こいつ)

ちらっと視線をやると、嫁子もまた自席でおにぎりをかじっていた。
目が合った瞬間、そっと目を細めて──小さく、笑った。

(……今だけは、俺だけの秘密)


「付き合ってます、なんて言えるわけない」

それから数日。俺たちは何事もなかったように、業務をこなしていた。

だけど、些細なところで、それは現れていた。

ファイルのやりとりが、以前よりも少しだけ丁寧になったこと。
資料の引き渡し時に、手が触れてもすぐに離さないこと。
誰もいない給湯室で、たった5秒だけ目を合わせる瞬間。

言葉にはしない。しないけれど、それでも「付き合っている」という意識は、お互いに強くあった。

(この関係、いつまで隠し通せるかな)

不意にそんなことが頭をよぎる。でも──

(まだ、今は……この静けさの中に、浸っていたい)

嫁子もまた、たぶん同じように考えていた。


「俺たち、こういうの、得意じゃないから」

ある日、嫁子がこっそりとメモ用紙を差し出してきた。
そこには、小さな字でこう書かれていた。

『今度、またイベントがあるんです。よかったら、来ませんか? 今度は、もっと“私”を見てほしいです。』

(……“私”か)

その言葉に、何か込み上げるものを感じた。

「行くよ」と返すと、彼女は顔を真っ赤にして、そっとペンで“ありがとうございます”と書いて返してきた。

まるで学生のラブレターみたいだった。
だけど、俺はそれがたまらなく嬉しかった。


「もう少しだけ、こうしていたい」

俺たちは、会社の中では何も変わらず。
ただ、外の世界で、休日だけ──特別な時間を共有していた。

嫁子の新作コスプレは、前よりも洗練されていて、完成度も上がっていた。
観客の数も、撮影の列も長くなっていた。

でも、その中でたった一人だけ、彼女がまっすぐ目を合わせて微笑んでくれる相手──それが俺だった。

「……いつか、会社にも言えたらいいですね」

そう言った嫁子に、俺は「うん」とだけ返した。

だけど内心では、まだもう少しだけ、この“秘密”のぬくもりに浸っていたいと──
心の奥で、願っていた。


「ついにバレた、でも──」

(静かに続けていた関係。それが、ある日を境に“隠し通せなくなった”──)


事の発端は、たった一枚の写真だった。

「先輩先輩、これヤバくないっすか!? “夜想のマリア”、今度は完全に仕上げてきましたよ!」

昼休み、前田が騒ぎながらスマホを持って俺のデスクに駆け寄ってきた。
俺は内心(うわ……)と青ざめながら、動じないふりで画面を覗いた。

「この背景、どこだと思います? これ、〇〇公園の裏手っすよ! 俺、あそこよく行くからわかるんすよ!」

(ちょっと待て、それ……この前、俺が撮ったやつだよな……)

しかも──

「これ見てくださいよ、反射してる影。これ、男、映ってません?」

「………………」

前田の目がギラギラしていた。

「先輩、もしかして……」

「いや、違う」

即答した。でも、顔が引きつってたのは、自分でもわかった。


「……私、もう隠しきれないかも」

その日の夕方。定時が近づいて、部署内が静かになっていた。

俺の隣の席から、そっとメモ用紙が滑り込んできた。

『話、いいですか? 屋上で。』

俺は頷いて、そのメモをそっと胸ポケットにしまった。

冷たい風が吹き抜ける屋上。嫁子は制服の上着をぎゅっと掴みながら、俺の前に立っていた。

「……やっぱり、バレたみたいです」

「前田に?」

「はい。SNSも見られてたし、写真の反射で……それに、私があなたと並んで歩いてたの、見たって人も……」

(どうしてこんなに胸が苦しいんだ)

「もう、会社いられないかもしれません」

「バカ言うな」

俺は、思わず口調を強めてしまった。

「……お前がどんなふうに趣味を持ってようと、誰と付き合ってようと、それで仕事の成果が変わるわけじゃない。お前のコードが優秀なことは、みんなわかってる」

「……でも、私、笑われるの怖いんです。“地味な子がコスプレしてた”って、バカにされるのが」

「そんな奴、バカにさせておけばいい」

「……!」

俺は、ゆっくり言葉を継いだ。

「俺は、お前のこと、ちゃんと知ってる。コスプレしてる時も、地味に見える時も、どっちも“嫁子”だって」

「……やめてください。そんな言い方、ずるいです」

嫁子は目元を手で隠した。けれど、その頬には──涙が光っていた。


「守りたいって、本気で思った」

翌朝、社内の空気が少しだけざわついていた。

原因は、前田の口から広まった“噂”だった。

「開発の嫁子さんって、コスプレイヤーらしいっすよ。めっちゃ有名なやつ。マジ神レベル」

「へー、地味だから気づかなかった。けど、ああいう人ほど本気なのかもなー」

意外だったのは──誰も、笑わなかったこと。

「てか、コード書けて見た目も変幻自在とか、最強じゃん」「俺もレイヤーやろうかな」
そんな声すら上がっていた。

(……これが、今の時代なのか?)

少し前の自分だったら、こういう空気の変化に気づくことすらなかった。
でも今は──

「……お前のこと、守りたいって思ったの、人生で初めてだった」

昼休み。俺は給湯室で、嫁子にそう言った。

「……今まで誰かに“守られたい”と思ったことしか、なかったんですけど……先輩には、逆に甘えてほしいって、思ってしまうんです。不思議ですね」

「俺は、ずっと甘えっぱなしだったよ。お前に」

「……うそ」

「ほんと」

そう言い合って、ふたりで小さく笑った。
もう、“バレるかも”という不安はなかった。


「プロポーズのきっかけは、コスプレでした」

(イベントでのたった一枚の写真──それが、ふたりの未来を決める引き金になった)


秋の終わり、風が冷たくなってきた頃。
俺はまた、イベント会場の片隅に立っていた。

いつもより少し早めに現地入りした理由は、今日が特別な撮影日だったからだ。

「今回は……和装のキャラなんです」

嫁子はそう言って、やや照れくさそうに笑っていた。

「袴姿って、似合うかわからないんですけど……」

(似合うよ。絶対に)

そう言いたかったけど、俺はうまく言葉にできず、ただ頷いた。
それだけで、嫁子は安心したように微笑んだ。


「シャッターの先に、未来が写ってた」

撮影が始まった。
紅葉の残る木立の下、夕暮れの光が差し込む時間。
和装の衣装に身を包んだ嫁子は、誰よりも自然にその場に溶け込んでいた。

そのとき、俺の中で何かが決定的に“変わった”。

(この人と、ずっと一緒にいたい)
(趣味も、日常も、何もかも、分けずに)

一枚のシャッター音が響いた瞬間だった。

その写真には、夕日に照らされた嫁子が笑っている。
俺のことをまっすぐ見つめながら、優しく、柔らかく──
どこにも力みのない、素のままの笑顔だった。

(ああ……この瞬間が、永遠だったら)

その夜、嫁子と一緒に帰る道すがら。
俺は意を決して、言葉を口にした。

「……俺さ」

「……はい」

「ずっと、思ってた。お前が笑うたびに、“この笑顔が、自分だけのものだったら”って」

「……はい」

「もし、よかったら……結婚、しませんか」

一瞬、風が吹いた。

嫁子は目をぱちぱちとさせて──それから、唇を小さく震わせた。

「……っ、そんな、急に……」

「ごめん。でも、もう、止められないんだ。これ以上、“彼氏”って言葉で片付けたくなかった」

嫁子は、ぎゅっと手を握ってきた。

「……私、現実でこんなに嬉しいって思えたの、初めてです」

そして──

「はい。よろしくお願いします」


「会社では地味、家では女神」

それからというもの、俺たちは会社では相変わらずだった。

ただ、ひとつ違ったのは──左手薬指の小さな指輪。

誰も何も言わなかった。けど、何人かは気づいていたと思う。
それでも誰も触れなかったのは、たぶん──

「お前ら、なんだかんだで一番幸せそうだよな」

と、後輩の前田がふと呟いた一言が、すべてを物語っていた。


ある日、ふたりでスーパーに買い物に行った帰り道。
嫁子がぽつりと呟いた。

「職場での私は、たぶん、これからも地味なままです。変わりません」

「うん、わかってる」

「でも、家に帰ったら……私、“女神”になれてますか?」

「なれてるよ。俺にとっては、最初からずっと」

嫁子は、照れたように笑って、俺の袖をくいっと引っ張った。

「じゃあ、これからも……好きなキャラに化けるから、よろしくお願いしますね」

「もちろん。俺はお前が何に化けても、ずっと“中の人”が好きだから」

「……バカ」

その“バカ”が、俺の人生で一番、甘く響いた。

「俺と嫁子の、日常オタク夫婦ライフ」

(“地味な社員”と“カリスマレイヤー”が夫婦になったその後──静かで幸せな、ふたりの毎日)


結婚してからも、俺たちの生活は、ほとんど何も変わらなかった。

朝は無言のまま弁当を詰め合い、同じ電車に乗って、同じフロアで働いて──
昼休みも別々に過ごし、業務中は相変わらず「はい」「了解しました」「確認します」の短文だけ。

「職場では関係を出さない」

それが、嫁子の強い希望だった。

「だって……なんか、恥ずかしいです。みんなの前で、“夫婦”って感じ出すの」

「まぁ、俺も得意じゃないけどな。お互い地味だし」

「……でも、家では違いますよ?」

「へいへい」

(……正直、それがめちゃくちゃ嬉しい)


「家ではオタク全開ですけど、何か?」

家に帰れば、ふたりはもう隠さない。

居間には同人誌が積まれ、壁には公式イラストの複製サインが並び、リビングには撮影用のLEDライトと布背景まである。

夕飯を食べ終えると、嫁子は突然言い出す。

「ねえ、あのポーズ撮ってみてもいいですか? ほら、例の魔法少女の、あの腰の角度がきついやつ」

「はいはい、椅子持ってくるからな」

「カメラの設定もお願いしていいですか? F値下げて、ちょっとだけフレア残して」

(なんだこの夫婦……)

でも俺は、そんな時間が心から好きだった。

カメラのファインダー越しに、嫁子の“好き”がきらきらと映っていて。
それを、自分の手で切り取って、残してやれることが誇らしかった。


「静かで、うるさい、ふたりだけの生活」

たまに、ふたりでソファに座って、ただ無言でアニメを流してるだけの時間もある。

嫁子がひざ掛けにくるまりながら、俺の肩にちょこんと頭を乗せてくる。

「……ねえ」

「ん?」

「私、今が一番幸せかもしれません」

「そうか」

「でも、あなたがいなかったら……たぶん、私は、ずっとマリアのままだったと思います」

「マリアでもいいと思うけどな。かっこいいし、人気あるし」

「違うの。マリアは“誰かの理想”になれるけど、“私自身”じゃないから……」

「……」

「“私”として、誰かに愛されるなんて、夢のまた夢だったんです。だから、あなたがいてくれて、ほんとによかったです」

「こっちこそ」

ふたりとも地味で、口下手で、空気も読めないことが多いけど──
その分だけ、“素直”に生きていけた。


「この関係が、俺たちの最終形態」

休日、買い物帰りのスーパーの袋を両手に持って並んで歩いてる時、ふと思った。

(これが、俺たちの完成形なんだな)

SNSに映えるような派手さも、豪華なイベントもいらない。
ただ、嫁子が笑ってくれるなら、それでいい。

地味で、静かで、なんでもない日々。
でもその中には、たくさんの“好き”と“安心”が詰まっていた。

「なあ」

「ん?」

「来年の冬コミ、何やるか決めてる?」

「ふふ、もちろん。あなたと合わせでやりたいキャラ、もう決めてますよ?」

「そうか。じゃあ、俺も筋トレ始めるか……」

「……え、それいるんですか?」

「たぶんいる」

そう言って、ふたりで笑った。

静かで目立たない“地味な社員”と、誰もが憧れる“カリスマレイヤー”の嫁。
最初は他人同士、同じ空間で呼吸をしていただけの存在だったのに──
少しずつ、ゆっくり、丁寧に、心を通わせていって、いまでは同じ未来を歩いている。

この物語に、劇的な奇跡はなかったかもしれない。
けれど、それでも確かに、ふたりの人生は変わった。

会社では地味、家では女神。

そして今も、ふたりでオタクやってます。