自己肯定感が低い私が、社内で笑ってくれた彼と結婚するまで【結婚したい・婚活馴れ初めエピソード】

自己肯定感が低い私が、社内で笑ってくれた彼と結婚するまで

この馴れ初め話は著作権フリーで改変も自由・YouTubeの素材やSNSでご使用いただいても問題はありません。ただ以下のリンクを張っていただけたら幸いです。
はっくなび

なんで私ばっかり気にしちゃうんだろう、って思ってた

私(37歳・事務職)

私の毎日は、静かで、波がない。
事務職で働き始めてもう十年以上。仕事は正確に、遅れなく、余計なことは言わない。褒められたことも、怒られたことも、最近はほとんどない。

「気にされていない」って、ある意味では楽。でも、「そこにいない」みたいに扱われるのは、時々胸に引っかかる。

私の机は、オフィスの一番端。壁に背を向けて、パソコンと書類だけを相手にしている。誰かが話していても、自分がその輪に入ることはない。元々、声が小さいせいもある。話すときにどもるのも、ちょっとコンプレックス。

見た目も、ごく普通。いや、たぶん普通より地味。メイクも最小限、髪もまとめているだけ。スカートも膝丈のグレー。目立たないことが、自分の防衛手段だった。

高校生の頃から、誰かの「視線」が怖かった。見た目に自信がないから、見られると「どうせ笑ってるんだろうな」と思ってしまう。

そんな自分を隠すように、趣味は刺繍と読書。言葉にできない気持ちは、細かい手仕事や小説の中に沈める。誰にも見せなくていい世界が、そこにあるから。

会社の人とは、あいさつ以上の会話をしたことがほとんどない。誰かの誕生日ランチも、部署の飲み会も、できれば避けてきた。理由は、ただ一つ——自分がその場に「いていい人」だと思えなかったから。


旦那くん(34歳・開発部)

彼のことは、ずっと前から知っていた。
でも、知っていたのは「名前」と「部署」だけだった。

開発部のエンジニア。いつも黙ってパソコンに向かっている。スーツは着崩さず、姿勢もよく、歩くのも静か。誰かと笑いながら話しているのは、見たことがなかった。

(あの人、なんか怖いな)
最初の印象は、それだった。無表情で、目が合ってもそらす。口数も少なくて、ちょっと近寄りがたい。

でも、ある日、ふと見かけた。自販機の前で、新人の子が小銭を落としたとき、彼がそれを拾って「どうぞ」と小さく声をかけていた。無愛想なまま。でも、手は丁寧だった。

社内では「塩対応」と呼ばれていたけど、本当は違うんじゃないかって、そのとき少しだけ思った。

彼がどんな音楽が好きで、どんな映画を観るのかも知らない。でも、たまに書類を受け取りに来たとき、ほんの一瞬だけ目が合うことがある。

(今日も静かだな)
(仕事、忙しそうだな)

そんなことを、胸の中だけで思っていた。彼と私が直接話したことは、まだ一度もない。


無口な社内生活、ただの風景だった彼

ふつうの朝、ふつうの席、ふつうの私

「おはようございます……」

小さく声を出したのは、誰に向けてというわけでもない。いつも通り、自分の席に座りながら、PCの電源を入れる。私の席は、オフィスの一番端。後ろは壁。隣の席との間にはパーテーションが立っていて、ほとんど顔も見えない。

(今日も、無事に終わりますように)

私の一日は、その願いから始まる。誰にも話しかけられず、目立たず、無事に一日をやり過ごすことが目的。そうすれば、自分がここにいても大丈夫だと、少しだけ思えるから。

パソコンが起動する音。プリンターの印刷音。誰かのコーヒーを注ぐ音。いろんな音がまるでBGMのように流れる中、私は黙ってエクセルファイルを開いた。

彼は、いつも無口だった

ふと、少し遠くの席に目を向ける。開発部のエリア。パーテーション越しに見えるその人影は、今日も変わらず真っ直ぐ座っていた。背筋がきれいに伸びていて、無駄な動きがまったくない。

(あの人、いつも静かだな……)

彼のことを気にし始めたのは、いつからだったんだろう。誰かと話すこともほとんどなくて、黙々とキーボードを打ってるだけ。会議のときもほとんど発言はなく、うなずくか、簡潔に答えるだけ。

でも、誰かが困っていると、必ず気づく。新人がプリンターに詰まった紙をどうしていいか分からずに立ち尽くしていたときも、何も言わずに近づいて、手際よく直してあげていた。目立たない。でも、丁寧。

(たぶん、優しい人なんだろうな……)

そう思った瞬間、自分の中で何かが変わった気がした。毎朝、出社したときに、彼の姿をこっそり探してしまう自分がいた。目が合うと、なぜか胸がドキンとする。でも彼は、すぐに視線を逸らしてしまう。

(……気のせい、だよね)

自意識過剰にならないように、自分を押しとどめる。でも、気づいていた。少しずつ、彼のことを「風景」じゃなく、「人」として見るようになっていた。


いつもより遅い昼休み

その日、午前中の仕事がバタバタして、昼休憩が少し遅くなってしまった。いつものように時間ぴったりには行けず、仕方なく休憩室に行くと、そこには誰もいない——と思ったら、彼がひとりで座っていた。

「あ……」

私の小さな声に、彼は顔を上げた。そして、ほんの少しだけ——ほんの少しだけ、目元が緩んだ。

「どうぞ」

低いけれど、穏やかな声だった。彼の隣のテーブルにはまだ席が空いていたけれど、私は少し離れた場所を選んだ。なんだか、近くに座るのが申し訳ない気がして。

(同じ部屋にふたりきり……どうしよう)

お弁当の蓋を開けて、少し緊張しながら口を動かす。おにぎりが、喉を通りにくい。でも、彼は静かに自分のサンドイッチを食べていた。ゆっくりと、落ち着いた動きで。

(落ち着いてるな……。私も、あんなふうになれたらいいのに)

そのときだった。彼が、ふとこちらを見た。

「……手、細かい動きしてるんですね」

「えっ……?」

彼の視線が私の手元を見ていた。私が、お弁当の袋を丁寧に畳んでいるのを見ていたらしい。

「……あ、ごめんなさい。変なこと言った」

「いえ、そんな……」

(びっくりした……でも、ちゃんと見てくれてたんだ)

彼は少しだけ照れくさそうに視線を戻した。その顔が、不思議と印象に残った。


ちょっとだけ、日常が変わった気がした

その日の午後。仕事に戻ってからも、どこか集中できなかった。彼の声が、耳に残っていた。

(あんな声だったんだ……)

落ち着いていて、少し低くて、でも優しい。たった一言、二言しか交わしていないのに、まるで何十分も話したような気がした。

「手、細かい動きしてるんですね」

誰も気づかないようなことを、彼はちゃんと見ていた。それが、自分の「存在」がちゃんとここにあるんだと教えてくれたようで——

(……バカみたいだな、私)

でも、胸が少しだけあたたかかった。自分が誰かに、少しでも見られていると感じたのは、本当に久しぶりだったから。


コピー機の前での「手伝いましょうか」

紙詰まりとの格闘

それは、月曜の朝だった。
週初めは、どこか空気が重たい。資料の印刷を一気に頼まれ、私はコピー機の前に山のような紙を抱えていた。

(どうか一回で全部印刷できますように……)

そんな願いも虚しく、途中で「ガコン」と重たい音がして、画面には「紙詰まり」の表示。コピー機の横にしゃがみこみ、カバーを開けてみる。

(ああ……奥の方に紙、挟まってる)

手を伸ばしてみるけれど、なかなか届かない。腕が短いのか、力の入れ方が悪いのか、ただ焦るばかり。

(どうしよう、もうすぐ会議始まっちゃう)

周りには誰もいない。こういうとき、声をかけられるほどの人脈もないし、助けを求められるほどの勇気もなかった。

「……手伝いましょうか」

その声は、突然だった。
振り向くと、彼がいた。開発部の彼。いつもは静かで目立たない彼が、目の前で少しだけ首を傾けてこちらを見ていた。

「えっ……」

(……夢じゃないよね?)

言葉がうまく出てこなかった。彼は、無言でコピー機の横にしゃがみこむと、私が開けたカバーをのぞき込んだ。

「奥にあるね……ここ、ちょっと硬いんですけど」

そう言いながら、長い指で詰まった紙を丁寧に取り出してくれた。指先が汚れるのも気にせず、何度かパーツを動かしている姿に、私はただ見とれていた。

(手、綺麗……)

「はい、これで大丈夫です。印刷、再開してみてください」

「……ありがとうございます」

やっと言葉が出たのは、彼が立ち上がって私を見下ろしたときだった。


短い会話、でも長く残る余韻

印刷を再開すると、何事もなかったようにスムーズに出力が始まった。私はほっと息を吐きながら、彼にお礼を言う。

「ほんと、助かりました……。私、こういうの、苦手で」

(うまく言えたかな……)

彼は、ほんの少し口角を上げて「大丈夫ですよ」とだけ言った。その笑顔が、ごくわずかでも、私の胸の中にはずっと残っていた。

「いつも静かですよね」

(あ、変なこと言っちゃったかも……)

思わず口に出してしまった言葉に、自分で焦る。でも彼は、否定も肯定もしないまま、少しだけ視線を下に落とした。

「そうですね。喋るの、得意じゃないんで」

(……それ、なんか分かるかも)

「私もです……。人前で話すの、苦手です」

「……意外でした」

「え?」

「資料、いつもきれいだから。ちゃんとしてる人なんだなって」

彼はそう言って、また少しだけ口元を緩めた。ほんの、数秒。でもその笑みは、私にとっては何時間分もの意味があった。

(私のこと……見ててくれたんだ)

そのときの印象が、胸の奥に静かに沈んでいった。嬉しい。でも、どこかくすぐったい。たった数分の会話なのに、まるで心の奥が震えていた。


少しずつ、日常に彼が入り始めた

その日から、私の中で「彼」が、少しずつ変わっていった。
彼の存在は「ただの同僚」から、「少し気になる人」になった。

出社するとき、開発部の席をなんとなく目で追ってしまう。昼休みに廊下ですれ違うと、胸の鼓動が早くなる。廊下の向こうに彼がいるだけで、足がすこしだけ緊張する。

そして何より、言葉が、記憶に残る。

「ちゃんとしてる人なんだなって」

(そんなふうに見えてたんだ……)

誰にも気づかれないように、静かに仕事をしていたつもりだった。でも、ちゃんと見てくれていた人がいた。それだけで、胸がふわっと軽くなる。


自分の存在が、少しだけ許された気がした

(私なんて、いてもいなくても変わらない)
ずっと、そう思っていた。

誰かの記憶に残るような言葉を交わしたこともなかった。なのに、今日の出来事は確かに違った。

コピー機の前でしゃがみこんでいた自分に、彼は声をかけてくれた。しかも、ただの形式じゃない。ほんとうに、困ってることを察してくれた。

(嬉しかった……)

それが、どんなにささやかな出来事でも、私にとっては人生の中で数少ない「自分が認められた」と感じられる瞬間だった。


休憩室で二人きり、話が続いた奇跡

静かな昼休みの、静かじゃない出来事

水曜日の午後、午前中の会議で少し疲れて、私は昼休みを少し遅らせた。人が少なくなった時間帯の休憩室は静かで落ち着く。冷蔵庫からお弁当を取り出し、すこし伸びたご飯を気にしながら、カップのお味噌汁にお湯を注ぐ。

(今日も誰とも喋らずに終わるのかな……)

そう思いながら席につこうとしたその瞬間——また、いた。
彼が、ひとつ奥の席でサンドイッチを食べていた。しかも今日は、視線がこちらを捉えたまま、少しだけ頷いた。

「……こんにちは」

小さな声だった。でも、確かに挨拶をしてくれた。
その瞬間、胸がきゅっとなる。

(……こんにちは。私も、言わなきゃ)

「こ、こんにちは……」

噛んだような声になってしまった。でも彼は気にする様子もなく、また目を伏せてサンドイッチに手を伸ばした。

(……座っていい、のかな)

迷ったけど、今日は思い切って、少しだけ近くの席に腰を下ろした。無言が怖くて、でも無理に話す勇気もなくて、ふたりの間には数歩分の距離と、静けさが漂っていた。


「刺繍、やるんですか?」

しばらくして、お味噌汁をすする音だけが響いていた空間に、彼の声が静かに落ちた。

「……刺繍、やるんですか?」

「えっ……?」

思わず聞き返す。彼の視線は、私のお弁当袋についている手作りの刺繍チャームに向いていた。

「あ、はい……趣味で……」

(ばれてた……ちょっと恥ずかしい)

「細かい作業、得意なんですね」

「……あの、見るの、好きなんですか?」

「うん、こういうの。自分にはできないから」

彼は、小さく微笑んだ。
その笑みが、意外なほど優しかった。

(この人、こんな顔もするんだ……)

まるで、最初から知ってた人のように感じる。不思議な感覚だった。


少しずつ、会話がつながっていく

「読書とかも、好きなんですか?」

「え、どうして……?」

「なんとなく。落ち着いてるから、そういう雰囲気あるなって」

「……たしかに、よく読みます。小説とか、エッセイとか」

「へぇ。どんなの?」

「最近読んだのは……あ、あの『夜の底で君を待つ』っていう小説、知ってますか?」

「聞いたことあります。暗い話、ですよね」

「そうです。でも、登場人物がすごく繊細で……人の気持ちを信じることの難しさとか、すごく共感できて」

(あっ、今、ちょっと熱くなってるかも……)

ふだん誰とも話さない分、こうして話を聞いてくれる人がいるだけで、言葉が自然とあふれてきた。

「なんか……意外と、いろんなこと感じてるんですね」

「……“意外と”って、どういう意味ですか(笑)」

「いや、ちゃんと考えてるんだなって」

「ちゃんとって(笑)……でも、ありがとうございます」

彼はくすっと笑った。
笑ったのだ、はっきりと。
それが、まるでこの部屋の空気を一変させたような気がした。


「俺、話すの苦手で」

「……俺、こうやって話すの、久しぶりかも」

ふと彼が呟くように言った。

「え……?」

「普段、あんまり話しかけられないし、自分からも行かないから」

「……私もです」

「……じゃあ、似た者同士、ですね」

「……かもしれませんね」

それは、とてもさりげない言葉だった。
でも、心が震えた。

(“似た者同士”なんて言ってくれる人が、今までいたっけ……)

自分を「誰かと似ている存在」として捉えてくれることが、こんなにも温かいなんて。

彼は、壁のように見えていたけれど、その壁の向こう側にはちゃんと人がいた。気持ちを隠していたのは、自分だけじゃなかった。


忘れたくない「ふたりきりの時間」

その日、休憩室にいたのは、私と彼のふたりだけだった。
でも、それがとても特別なことに思えた。

誰にも邪魔されず、誰にも見られず、ただ素直に言葉を交わした時間。ぎこちないけど、だからこそ大事にしたくなるような会話。

彼がどんな音楽を聴くのか、休みの日は何をしてるのか。そういうことはまだ何も知らない。でも、少しだけ「心の距離」が縮まった気がした。

(また、こんな時間があればいいのに……)

そう思ったとき、少しだけ自分が“欲張り”になったような気がして、胸の奥が熱くなった。


私だけに笑いかけてくれた瞬間

笑わない人が、笑った。それが、私に向けてだった

金曜日の昼休み、社内は少し浮ついていた。
週末が近づくと、皆が少しずつ気を緩めて、会話が多くなる。
私のようにひっそりと暮らしている人間には、少しだけ居場所のない時間だった。

(早めにお弁当、食べておこう……)

そう思って、いつものように静かな時間帯を選んで休憩室へ向かった。ドアを開けると、すでに彼がいた。

小さなパックのヨーグルトに、静かにスプーンを差し込んでいた。その動作も、やっぱり彼らしく丁寧で、手元に無駄な動きがない。

私もお弁当を開けて、なるべく音を立てないようにして食べ始めた。最初はお互い黙っていたけど、ふと、彼がこちらを見た。

「……今日、花柄ですね」

「え?」

彼の視線の先にあるのは、私のお弁当袋。小さな小花模様の刺繍がついている。

「あ、昨日の夜、ちょっとだけ縫って……」

「へえ……かわいいです」

(……かわいい?)

あまりに不意打ちの言葉で、反応が遅れてしまった。彼は照れくさそうに目を逸らしたけれど、確かに言った。

(かわいい、って……)

その一言だけで、胸がぐっと詰まる。私は何も言えず、ただ小さく頭を下げた。
きっと顔が赤くなっていたと思う。


みんなの前では無表情な彼が

午後、いつも通り事務処理をしていたとき、隣の部署の新人が慌てて私の席に駆け込んできた。

「すみません、開発部の○○さんって、いま席にいますか?」

「あ……はい、さっき見かけましたけど……」

「資料のことで確認があって……緊張します、なんか怖いんですよね」

(……怖い、って思われてるんだ)

私は少しだけ、胸がちくっとした。
彼が無表情でいるのは、ただそれが自然だから。きっと、自分の感情を簡単に表に出せない人なんだと思う。

だから、あのときの「かわいいです」も、きっと本音だったんだろう。


そしてその瞬間は訪れた

その日の夕方。
定時を過ぎて、皆がちらほらと帰り支度を始めていた頃。

私はまだPCの前で作業をしていた。ある報告書のまとめを頼まれていて、思ったよりも時間がかかっていた。

すると、ふと誰かの気配がして顔を上げると——彼が、紙の束を抱えて立っていた。

「……この前の件、助かりました」

「えっ……?」

「印刷のやつ、ちゃんと通ってました。ありがとうございます」

「あ、いえ、そんな……私、むしろ助けてもらってばかりで……」

(なんでわざわざ言いに……?)

彼は、少しだけ眉を上げて、

「……礼はちゃんと伝えたいんで」

そう言ったあと、一瞬だけ——私に向かって笑った。

それは、確かに「私にだけ」向けられた笑顔だった。


世界が変わった気がした

たったそれだけのこと。でも、心の奥が揺れた。

他の誰にでもなく、他の誰の目もない中で。
無理に愛想笑いをする必要もない空間で。

彼が、私にだけ、笑った。

(今の……私に向けて、だったよね?)

頬が熱くなる。手が少し震える。何もかもが初めての感覚だった。
人に好かれることなんて、諦めていた。
誰かに見られることも、喜ばれることも、求めないようにしていた。

でも——

(もしかして、私……)

心が、そっとつぶやいた。
今まで閉じ込めていた感情が、じわじわと顔を出す。

彼の笑顔は、きっと誰にでも見せるものじゃない。
だから、私にだけ向けられたその一瞬のために、今日という日があったのかもしれない。


社内イベントでのさりげないフォロー

行きたくなかった、でも断れなかった

毎年恒例の「部署合同懇親会」が、今年も行われることになった。
形式上は「親睦を深めましょう」という建前。でも、実際は半強制の飲み会だった。

場所は駅前のホテルレストラン、立食スタイル。部長たちの顔色を伺いながら、飲んで笑って、立ち回る。
それが得意な人は、きっといい。
でも私のように、そういう空気が苦手な人間には、正直ただの試練だった。

(行きたくないな……)

毎年ギリギリまで悩んで、最終的には「行かない」という選択肢を選んでいた。でも今年は違った。

「今回は全員参加で調整してるからね〜」
と、先輩に念を押された。

(断れない……か)

逃げ道が塞がれていた。


会場の中、空気になった私

当日、会場にはすでに大勢の人が集まっていた。
スーツ姿の上司たち、派手な笑い声、飛び交う名刺。
私は、手にしたグラスの中身を減らすことに集中するしかなかった。

(これ、あと何時間続くんだろう……)

周囲に馴染めず、空いた端のスペースに立って、ひとりで料理をつついていた。
誰もこちらを気にする人はいない。
目が合っても、すぐ逸らされるか、素通りされる。

そんなときだった。私の隣に、すっと誰かが立った。
彼だった。

「……疲れてます?」

彼は、私のグラスをちらっと見て、そう言った。
その声は、小さくても確かに私の中に入ってきた。

「……ちょっと、緊張してて」

「わかります。僕も得意じゃないんで、こういうの」

彼の声に、思わず肩の力が抜けた。
誰にも言えなかった気持ちを、彼だけは自然に分かってくれる。
そのことが、なによりも救いだった。


さりげない会話、でも確かな支え

「料理、取りに行きます?」

「……はい、ちょっとだけ」

「じゃあ、一緒に行きましょうか。あんまり目立たない方が楽ですよ」

(……そんなことまで、考えてくれるんだ)

彼と一緒に料理の列に並ぶと、周囲の視線が気にならなくなった。
彼の存在が、まるでバリアのように私を守ってくれている気がした。

「さっきのスピーチ、聞きました?」

「うーん……正直、頭に入らなかったです(笑)」

「同じく(笑)」

そんな他愛ない会話も、彼とだと自然に言葉が続く。
あれほど重く感じていたイベントが、少しだけやわらかくなっていく。

(こんな私にも、ちゃんと居場所があるのかもしれない)


事件が起きたのは、ほんの一瞬だった

飲み物を取りに行ったときのこと。
混雑したカウンターで、後ろから人がぶつかってきて、私は手に持っていたグラスを落としそうになった。

「あっ……」

そのとき、彼の手が私の手首をとっさに掴んだ。
落としかけたグラスを、彼のもう一方の手がしっかりと受け止めた。

「危ない……大丈夫ですか?」

「っ……はい、すみません……!」

(恥ずかしい……こんなところで……)

でも、彼は一切責めなかった。ただ、私の手首をそっと離して、グラスをカウンターに戻しながら、こう言った。

「慣れてないと、こういう場は疲れますよね」

その言葉が、どこまでも優しかった。


誰よりも自然に、誰よりも近くにいた

そのあと、私たちはまた隅の方に戻って、静かに料理をつついた。
会話は多くなかったけれど、何も話さなくても落ち着ける空気が、そこにあった。

イベントが終わって、会場を出るとき。
駅までの帰り道、人の流れに押されて、私は少しよろめいた。

その瞬間、彼の声が聞こえた。

「……ちょっと歩きます? 人多いし」

(えっ……ふたりで?)

「このまま帰るのも、ちょっと窮屈ですよね」

彼の提案は、本当にさりげなかった。
でも、私にとっては、人生で初めての“自分が選ばれた”時間だった。


恋なんて、と自分に言い聞かせていた

気づけば、彼のことばかり考えてた

イベントから数日が経っても、私はずっと彼のことを考えていた。
それは意識してというより、気づいたら、というほうが近い。

(今、彼は何してるんだろう)
(今日はもう帰ったのかな)
(あの時、なんであんな風に言ってくれたんだろう)

ふとした瞬間、手が止まって、思考が彼に向かう。
電車の窓に映る自分の顔を見て、なんとなく鏡を見直して、髪を整えてみたり。
今までなら絶対にしなかったことを、自然としていた。

(……こんなのおかしい)

恋なんて、もうずっと前に遠ざけたはずだった。
誰かを好きになる資格なんて、自分にはないって。
こんな私を見て、誰かが“好き”って思うはずがないって。

だから——

(これはただの憧れ。勘違い。思い上がり)

何度もそう言い聞かせた。
でも、彼の声が、顔が、ふとした優しさが、心の中から離れてくれなかった。


自分の気持ちに蓋をする方法

毎朝、出社してPCを立ち上げる。
彼の席が視界に入ると、鼓動が速くなる。
それでも、何事もなかったように振る舞う。
それが大人の処世術だと思っていた。

けれど、ある日——

「……○○さんって、開発部の彼と仲いいんですか?」

同僚の女の子に、ふいにそう聞かれた。

「えっ……なんで?」

「いや、こないだイベントのとき、ふたりでずっと一緒だったから。珍しいなぁって思って」

「……たまたまですよ。話しかけてくれて、助かっただけで」

笑顔を作った。でも、内心はざわついていた。

(やっぱり、見られてたんだ……)

ほんの少しでも、彼と一緒にいる時間を「特別」に思っていた自分が、急に恥ずかしくなった。
何も始まってない。期待なんて、してない。
ただ、ほんの少し温かいだけのやりとり。
それを“特別”と思ってしまったのは、私の勝手だ。

(調子に乗らないで)

そう思えば思うほど、彼の優しさが胸に痛くなってきた。


彼と、また休憩室で会った

金曜日の昼休み。
少し遅めの時間を狙って、休憩室に向かった。
誰もいないことを期待していたけれど、やっぱりいた——彼。

「あ……こんにちは」

「こんにちは。……また、タイミング合いましたね」

彼は、ほんの少し笑った。
いつものように、カップのコーヒーを手に持っていた。
私は隣のテーブルに腰を下ろし、少し間を置いて話しかけた。

「今週……忙しそうでしたね」

「ええ、ちょっと立て込んでて。でも、やっと落ち着きました」

「……良かったです」

彼はうなずいて、カップに口をつけた。
ふたりの間に、少し静かな時間が流れる。

でも、その静けさが、嫌じゃなかった。

「この間のイベント、助かりました」

「俺もです。ああいうとき、一人だと時間が長くて」

「……一緒にいて、楽だったんですか?」

「はい。話さなくても居心地よかったんで」

その言葉に、心が跳ねた。

(……私も、同じだった)

でも、口には出せなかった。
ただ、手元の紙コップを見つめるだけだった。


「それ、いいですね」と言われて

ふと、彼が目を細めて言った。

「今日のハンカチ、刺繍ですか?」

「あっ……はい。最近作ったやつです」

白地に、紫の小花を散らしたハンカチ。
地味だけど、丁寧に時間をかけて縫った。

「すごく細かいですね。色も綺麗で、落ち着いてる」

「ありがとうございます……。自分で作ると、ちょっとだけ、自信が持てるんです」

「……いいですね、そういうの」

彼の言葉は、まっすぐだった。
誰かに「いいですね」と言われたのは、いつぶりだっただろう。


心が、追いついてこない

その日の帰り道、駅までの人混みの中を歩きながら、自分の気持ちがどこへ向かっているのか分からなくなっていた。

(私、あの人のことが好きなのかもしれない)

でも、それを認めたくなかった。
好きになってしまえば、きっと期待してしまう。
期待すれば、裏切られたとき、もっと深く傷つく。

だから——

(これは恋じゃない。ただ、優しさに触れて、勘違いしてるだけ)

そう言い聞かせることで、自分を守ろうとした。

でも、心の奥の小さな声は、こうささやいていた。

(それでも、もう戻れない)


「一緒にランチ行きませんか」

その言葉が、本当に自分に向けられたなんて

月曜日の朝、少し肌寒い空気がオフィスを包んでいた。
季節が少しずつ変わっていくように、私の心も日々変化していた。

彼と話す回数は、少しずつ増えてきた。
でも、それはいつも“偶然”の範囲。
会話のきっかけは、必ずといっていいほど彼からだった。

私は、待っているだけ。
気持ちが傾いていることに気づきながら、でもそれを口にする勇気はなくて。

(……また、今日も何事もなく一日が終わるんだろうな)

そう思っていた矢先だった。

昼前。
コピー室で資料を取りに行った帰り、廊下の角で彼とばったり会った。

「あ……こんにちは」

「こんにちは。……あの」

その時、彼がほんの少しだけためらったように言葉を探した。
その顔が、どこかぎこちなく、でもまっすぐで——

「今日の昼、もし良かったら……一緒にランチ、行きませんか?」

時が、止まったようだった。


息が詰まるほど動揺した

「え……?」

思わず聞き返してしまった。
自分の耳を疑った。

(今、なんて……?)

彼は視線を逸らさず、言葉を繰り返した。

「近くに、新しくオープンしたカフェがあって。ちょっと気になってたんですけど……もしご迷惑じゃなければ、一緒に」

(迷惑……? そんなわけないのに)

「……はい。ぜひ」

声が震えないようにするのに、全神経を使った。
たった一言「はい」と言っただけなのに、手のひらは汗ばみ、心臓がバクバクしていた。

(こんな感覚、何年ぶりだろう)


一緒に歩く、その距離がくすぐったくて

昼休み、オフィスを出て駅の裏手にあるカフェへ。
平日でも人通りが少ない路地を並んで歩く。

「ここ、最近できたんです。通勤のときに見かけて」

「へぇ……知らなかった。私、いつも同じ道ばっかりで」

「ルート変えると、結構いろんな店あるんですよ。意外と」

そんな話をしながら歩く時間が、信じられないほど愛おしかった。

彼と並んで歩いているという現実。
それだけで、自分の世界が少しだけ誇らしく感じた。


窓際の席、向かい合うふたり

店は落ち着いた内装で、ウッド調のテーブルとグリーンの観葉植物。
ふたりで選んだのは、日替わりランチセット。
それぞれプレートが運ばれてきた後、ふたりきりの空間ができた。

「こうやって、社外で会うと……なんか、雰囲気変わりますね」

「え……私、変わってますか?」

「いえ、良い意味で。ちょっと柔らかくなったというか」

(……柔らかくなった、か)

「……私、社内だとすごく緊張してて。喋り方とか、怖がられないようにって、ずっと意識してて」

「怖がられる?」

「はい……たぶん、昔のクセで。見られることが怖かったんです、学生の頃から」

「……わかります、それ」

彼は静かにうなずいた。

「俺も、人と話すとき、よく“何考えてるか分からない”って言われます。実際は……いろいろ考えすぎて、喋れなくなるだけなのに」

(ああ、この人も、同じなんだ)

どこかで安心した。
自分だけじゃなかったと、心の奥がゆっくりほどけていく感覚。


ごく自然に、でも心が揺れた瞬間

ランチを終えて、少しだけ甘いものを頼んだ。
彼はブラックコーヒー、私はミルク多めのカフェラテ。

カップを手に取りながら、彼がふとつぶやいた。

「……こうして話すの、思ったより緊張しないですね」

「私もです。なんでだろう」

「きっと、安心するからだと思います」

(安心……されてる? 私が……?)

こんな言葉をもらったのは、人生で初めてかもしれない。
“安心する”なんて、特別な人にしか向けない言葉だと思っていた。

彼が私にそれを言ってくれたことが、胸の奥を震わせた。


帰り道、少しだけ近づいた肩

カフェを出ると、空は少しだけ曇っていた。
駅に戻るまでの道のりは短いはずなのに、歩幅がゆっくりだった。

「また、行きませんか。ランチ」

「……いいんですか?」

「はい。こうやって話せるの、嬉しいので」

彼の声は、いつもよりも柔らかく感じた。
私の返事は、すぐに出た。

「私も……嬉しいです」

その瞬間、肩と肩が、少しだけ近づいた気がした。


初めて見せた涙と、彼の言葉

小さなつまずきが、心を揺らした

その日、朝から少し調子が悪かった。
パソコンの不具合、ミスの多い報告書、上司の機嫌も悪い。
積み重なった些細なことが、気づかぬうちに私の気持ちを削っていた。

(またやってしまった……)

午後、他部署への連絡メールで宛先を間違えた。
ほんの確認ミス。でも、そのメールがきっかけで、小さな会議が混乱し、私は課長から人目のある場所で注意された。

「この程度のこと、確認しないと分からないの? 頼むからちゃんとしてくれよ」

周囲の視線が突き刺さる。

私はただ「申し訳ありません」と繰り返すしかなかった。

(どうして私は……)

それ以上の言葉が出てこなかった。
体は冷たく、手のひらは汗で濡れていた。


逃げるように向かったベンチ

定時少し前、どうしても席にいられなくなって、社屋裏の小さな屋外スペースに出た。
人気のない場所にあるベンチ。以前、彼が「静かにできて好き」と言っていた場所。

夕方の風が頬を撫でる。
座っていたら、知らないうちに涙が頬を伝っていた。

(泣くなんて……みっともない)

それでも止められなかった。
ずっと堪えていた言葉たちが、胸の奥で悲鳴をあげていた。

(私は、なんでこんなに……)

「……大丈夫ですか?」

その声に、体がビクッと反応した。
目を上げると、彼がいた。
ゆっくりと歩いてきて、私の前に立った。

「……っ、見ないでください」

思わず顔を伏せた。
涙を見られたくなかった。
こんな姿、彼には見せたくなかった。

でも——

彼は隣に座り、何も言わずに、小さなハンカチを差し出してくれた。

「……ここ、来ると思ってました」

「……どうして」

「僕も、よく来るので。嫌なことがあったときは、ここが落ち着くんです」


涙と一緒に、言葉がこぼれた

「私、またミスして……叱られて……」

声が震えていた。
でも、止まらなかった。

「自分でも、気をつけてるつもりなのに、全然ダメで……」

「……ダメじゃないです」

彼の声は、真っ直ぐだった。

「俺は、ちゃんと見てました。あなた、いつも丁寧に仕事してるし、人のこと、すごく気にしてる」

「そんなの……」

「そんなの、じゃないです。俺、わかりますから。そういうの、分かってくれる人って少ないですよね」

「……はい」

たったその一言で、また涙が溢れてきた。
否定も、慰めでもない。
ただ、私の“努力”を“ちゃんと見てくれている”ということ。
それが、何よりも救いだった。


自分の存在が、やっと許された気がした

「ずっと、誰かに言ってほしかったんです。
“大丈夫”って、“見てるよ”って。
でも、誰にも言ってもらえなくて……」

「それ、俺が言います。ちゃんと。
今まで誰も言ってこなかったのがおかしいくらいです」

彼は、私の手の上にそっと手を添えた。
あたたかく、やさしく。
何も強要しない、ただ“そこにいる”というだけの存在が、こんなにも心を落ち着けるとは思わなかった。

「もしよければ……こうやって話すの、もっと続けませんか。会社の外でも」

「……外でも?」

「はい。……いえ、変な意味じゃなくて。
あなたと話す時間が、俺にとってもすごく……大事なんです」

(私と話す時間が、“大事”?)

息を飲んだ。
それは、今までの人生で誰にも言われたことのない言葉だった。


涙が乾いたあと、初めて彼をまっすぐ見た

涙を拭きながら、私はゆっくり顔を上げた。
彼の目はまっすぐで、曇りがなかった。

「……私も、話したいです。もっと」

やっと、言えた。
気づかないうちに、自分の中に作っていた壁が、崩れ始めていた。

もう、自分を否定し続けなくていいのかもしれない。
こんな私でも、誰かの前で素直になっていいのかもしれない。

彼は、うなずいた。
そして、ほんの少しだけ笑った。


プロポーズされた日、私はやっと自分を許せた

あれから、少しずつ日常が変わった

あの日、ベンチで涙を見せたあと。
彼は変わらず、私に接してくれた。

むしろ、それまでより少し近く、まっすぐに。
私も、気づけば彼の言葉を待っているようになった。
お昼休み、仕事のすきま、帰り際の短い時間。
ふたりの会話は、ごく自然に増えていった。

(まるで、昔からそうだったみたい)

不思議と、怖さはなかった。
彼の隣にいると、無理をしなくても良かった。
取り繕わず、ただ自分でいられる。
そんな安心感を、私は人生で初めて知った。


一緒に過ごす時間、それは「特別」だった

彼とは、ときどき仕事終わりに駅近くのカフェに寄ったり、土曜日の午後に図書館で待ち合わせたり。
付き合っている——と、口にしたことはなかったけれど、きっとお互いに「そういう気持ち」だった。

彼は、相変わらず寡黙だったけど、私の話をよく聞いてくれた。
私も、少しずつ言葉にできるようになっていった。

ある日、ふたりで桜並木を歩いた帰り道。

「……あなたの、そういうとこが好きです」
彼がぽつりと言ったその一言が、ずっと心に残っている。

(“好き”って、言ってくれたんだ……)

それは、はっきりとした告白ではなかった。
でも、私には十分すぎるほどの“光”だった。


それは何でもない休日の、静かな午後だった

その日、私は朝から掃除をして、午後はゆっくり刺繍をしていた。
彼が「お茶でもしようか」と、うちに来ることになっていた。

カフェオレをふたり分淹れて、小さなテーブルに座る。
静かな午後、窓の外では風が木の葉を揺らしていた。

「今日は……なんだか落ち着きますね」
彼はカップを手にしながら、いつものように静かに言った。

「うん。……私、こういう時間、すごく好きです」

そう言ったとき、彼はふと立ち上がった。
ポケットから、小さな箱を取り出して。

「……え?」

手のひらに乗ったそれは、薄いグレーのベルベットのケースだった。

「……こういうの、うまく言えるか分からないんですけど」

彼は、目を伏せて、小さく息をついた。

「あなたと話していると、無理しなくていいと思えるんです。
素のままでいられるって、こんなに楽なんだって。……教えてくれたのは、あなたでした」

「……」

胸の奥が熱くなっていく。

「だから……これからも、ずっと一緒にいてほしいんです。
結婚を、前提に……考えてほしいです」

彼の手が、そっと差し出された。
それを受け取った瞬間、何かが解けて、涙があふれた。


やっと、自分を「肯定」できた瞬間

私は、ずっと「誰かに好かれる自分」になろうとしていた。
でも、本当の私は、不器用で、地味で、すぐに泣いてしまうような人間だった。

それでも——彼は、その私を選んでくれた。

誰かと比べなくていい。
欠けている部分も、間違えることも、全部含めて「私」として、彼はまっすぐに見てくれた。

「……ありがとうございます。私、こんな自分でも、いいんですか?」

「“こんな”じゃないです。あなたがいいんです」

その言葉に、私は泣きながら、うなずいた。

(もう、自分を責めなくていい)

(もう、嫌わないでいられる)


あの静かなオフィスで、出会えたから

振り返れば、何のドラマもない日々の中で。
静かなコピー機の前、誰もいない休憩室。
ただ、ほんの小さな一言や視線で、ふたりは少しずつ近づいていった。

大声で笑い合うことも、派手なデートもなかった。
でも、心の深いところで、確かに繋がっていた。

無口で、自信のないふたりだったからこそ。
言葉の重みも、沈黙の意味も、ちゃんと伝わった。

彼のそばにいれば、私はもう“誰かの視線”を怖がらなくていい。


結びの言葉

プロポーズを受けた日。
私は初めて、自分の存在を心から「肯定」できた。

誰かの“好き”になるって、こんなにあたたかくて、救われることなんだと知った。

たくさんの“できない”を抱えたままでも、
たったひとり、“できる”と信じてくれる人がいれば、
人は変われるんだと思えた。

「私、あなたとなら、安心して笑えます」

そう言った私に、彼は穏やかに微笑んで——
「俺も、あなたとじゃないとダメなんです」と返してくれた。

それが、私たちの物語の“はじまり”だった。