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はっくなび
わたし、話を聞いてるだけでよかったのに
「ねぇ、“恋愛感情”って、どうやったら戻ると思いますか?」
(それが、この物語のすべての始まりだった)
スマホの画面の中、淡いブルーのチャット欄。その一文がぽつりと届いた日、私は何も特別な日ではない、ただの木曜日の夜に、深い溜め息をついていた。
私のこと
私は36歳の派遣社員。小さな広告会社で、校正やデータ入力なんかをちょこちょこ手伝ってる。
特別なスキルはないし、すごい美人ってわけでもない。派手な服も着ないし、メイクもほぼしない。髪は結んでる方が落ち着くし、服はいつもグレーかネイビー。いわゆる“空気”になりがちなタイプ。
だけど、実は私――ネットの恋愛相談を見るのが大好きだった。
毎晩、仕事から帰って、ご飯を済ませて、お風呂に入って。寝る前に布団の中でスマホをいじって、匿名の人たちの恋愛相談を読む。それが私の日課。
「浮気されました」「遠距離がつらいです」「彼女が冷たいです」――そんな誰かの恋の悩みを読んで、コメント欄を見て、「あぁ、こう考える人もいるんだ」と思う。
私は恋愛経験がゼロだ。でも、頭の中にはデータがいっぱい詰まってる。
「相手の気持ちを考えましょう」「連絡の頻度は落として様子を見ましょう」――まるで評論家のように、冷静に読み解いて、勝手に頭の中で分析するのが好きだった。
自分では“観察者”だと思ってた。誰かの恋を見てるだけでいい。それで満足だった。
登場人物・旦那くん
そんな私の平凡な日常を変えたのが、「彼」だった。
彼は30歳。営業職のサラリーマン。マッチングアプリで出会った。
といっても、彼のプロフィールには「話し相手を探してます」とだけ書いてあった。顔写真もなくて、趣味も簡単にしか書いてない、淡泊なプロフィール。
なのに、妙に気になった。
何気なく送った「こんばんは」のメッセージ。
返ってきたのは、「相談って、聞いてくれますか?」という一言だった。
名前も、本名も、どんな顔かも、わからないまま。
だけど、私はスマホ越しに、その“声”に惹かれてしまったのかもしれない。
相談の内容は、元カノのことだった。
何人か付き合ってきたけど、最後の恋はひどい別れ方だったらしい。
「もう人を好きになるってどういうことかわからなくなったんです」
「でも、誰かに話さないと、気が狂いそうで」
彼の言葉は、どれも胸に刺さった。
(私なんかで、聞いていいのかな)
そう思いながらも、私は彼の話を真剣に聞いた。
はじまりは“聞き役”だった
「好きって言われて、うれしくなかった自分が一番ショックでした」
「自分が、誰かに必要とされたいって気持ちがなくなってたのかも」
その日から、彼との会話が続いた。
私の名前は出していない。向こうも、名前ではなく「あなた」とだけ呼ぶ。お互いを知ろうとしない、でも不思議と深く心が通うような、不思議な会話だった。
彼はとにかく、たくさん話してくれた。
私はただ、うなずきながら、時々言葉を返した。
「それって、自分の心を守ってたんじゃないですか?」
「きっと、悪いのはあなただけじゃなかったと思いますよ」
自分で言って、はっとした。
(私、恋愛したこともないのに、よくそんなこと言えるなぁ)
だけど、彼はそれを否定しなかった。むしろ、すごく安心したような返信が返ってきた。
「……そんなふうに思ったの、初めてです」
「ありがとう」
その言葉を見たとき、不思議と胸がぎゅっとした。
(“ありがとう”って、こんなに響くんだな)
恋なんて、するわけがなかった
私は36歳。恋愛は、諦めてた。
年齢的にも、容姿的にも、今さら誰かに好きって言われるような存在じゃない。派遣だし、収入も不安定だし、自信なんてまるでない。
恋に夢を見る年齢は、とうに過ぎた。
だから、彼の相談を聞きながらも、「自分とは無縁の世界の話」と、心に壁を作っていた。
でも、少しずつ――少しずつ、その壁は音もなく崩れていった。
彼の話を聞いているうちに、私は気づいた。
(どうして私は、こんなに彼の言葉にドキドキしてるんだろう)
この時の私は、まだ知らなかった。
彼が、どれだけ私の世界を変えてくれるか。
そして、私がどれだけ“必要とされる”喜びを知ることになるのか――。
“相談されるだけ”のはずだった
「好きな人が、誰かに取られるのって、どんな感じなんですかね」
その日、彼から届いた言葉は、いつもと少し違っていた。
(……え? それって、誰の話?)
咄嗟にそう思った私の胸が、かすかにざわついた。
“誰かに取られる”――たったそれだけで、こんなに胸が苦しくなるのは、なぜ?
彼は、元カノが職場の後輩と付き合い始めたことを知ってしまったらしい。
別れてから数ヶ月が経っていたとはいえ、その事実は彼の心を大きく揺さぶったようだった。
「そんなに好きだったんですか?」
そう返すと、彼はすぐに答えた。
「いや、もう好きじゃなかったはずなんです。でも、なんか、負けた気がして」
(あぁ……この人、ほんとに傷ついてるんだな)
その言葉の端々に、彼の優しさがにじんでいた。
未練ではなく、自尊心が削られていくような、そんな悔しさ。
きっと、彼は“比べられる”ことに慣れてしまっている。
私は画面越しに、そっと息を吐いた。
「比べられたくないよね」
「誰かとじゃなくて、自分だけを見てくれる人がいたらいいのにね」
送った瞬間、指先が震えた。
(……まるで、自分に言ってるみたい)
私と、彼と、“境界線”
「すみません、こんなことばかり話して……迷惑ですよね」
そう聞かれた夜があった。私はすぐに返した。
「迷惑なんて思ってませんよ」
「むしろ、ちゃんと話してくれるのが嬉しいです」
(本当は、迷惑どころか、今日も話せてホッとしてた)
誰かの“特別”にはなれないって、ずっと思ってた。
だけど、“相談相手”なら、私にもなれる。
だからこそ、境界線はしっかり引いていた。
彼のことを“好き”になるなんて、ない。
私はただの聞き役。恋愛経験ゼロの、空気みたいな派遣社員。
彼は6歳も年下で、仕事もできて、見た目だって――たぶん、悪くない(会ってないけど、雰囲気がある)。
そんな人と、恋になるわけがない。
「……あなたって、ほんとに、不思議な人ですね」
「僕の話、誰よりもちゃんと聞いてくれる」
そう言われたとき、心がきゅうっとなった。
(だって私、自分のことなんて、誰にも“ちゃんと聞いて”もらったことないのに)
変わっていくメッセージ
それから、彼のメッセージは少しずつ変わっていった。
「今日は、会社の飲み会で、全然楽しくなかった」
「帰り道に、あなたのこと思い出してました」
「今、誰とも話したくないけど、あなたとは話したいです」
最初は“相談”だけだったはずの言葉が、“共有”に変わっていった。
私の一言で、彼が笑ってくれる。
私の返信が遅れると、「大丈夫ですか?」と心配してくれる。
私の中に、少しずつ芽生えていく感情。
(……こんなふうに、誰かと会話が続くこと、今までなかったな)
(こんなに、相手の顔を思い浮かべながら文字を打つなんて)
そう、私はもう“相談役”じゃなかった。
ただの聞き手じゃなくて、彼にとっての“日常”の一部になっていた。
それでも、私は臆病だった。
だから、自分からは何も言えなかった。
彼が来てくれるのを、待つだけだった。
「また、話してもいいですか?」
その一言が来るまで、私はスマホを握ったまま、夜の静けさに沈んでいた。
誰かの“癒し”になれるということ
「あなたに話すと、少し眠れる気がします」
「……声、聞いてみたいって思ってもいいですか?」
そのメッセージを見た瞬間、心臓が跳ねた。
(声? 電話?)
これまで文字だけでやりとりしてきた関係。
だけど、ここで一歩踏み出すかどうか――その一言が、私に問いかけていた。
結局、その日は怖くて返信できなかった。
“声”を聞かれたら、私の全てがバレてしまう気がした。
36歳。恋愛経験ゼロ。派遣。地味。人付き合いが苦手。
そんな私が、“彼の癒し”になれるわけがない――。
なのに、次の日。
「無理にとは言いません。文字でも、僕はすごく助けられてますから」
そう言ってくれた彼の言葉が、優しすぎて涙が出た。
(……こんなに優しい人が、どうして傷つけられてきたんだろう)
その日から、私は彼のメッセージを待つのではなく、自分からも話しかけるようになった。
「今日、変なミスしちゃって」
「天気、すごく良かったですね」
「今夜も、ちゃんと寝られますように」
日々のささやかな出来事を、“好きな人”に届けるように。
いや、気づかないフリをしてたけど。
私はもう、彼のことを――好きになっていた。
心の中で、ひとつだけ願ったこと
(もし、生まれ変わるなら)
もっと若くて、もっと綺麗で、もっと明るくて。
そんな自分になって、彼と出会えたら――。
だけど、私のままで、彼が好きになってくれる日は来るのかな。
“相談されるだけ”のはずだった。
それなのに今は、彼の言葉に一喜一憂している自分がいる。
「今日も、話してくれてありがとう」
(こっちこそ、あなたの存在が、毎日の光です)
そんな言葉を、いつか伝えられる日が来るだろうか。
たくさんの元カノの話
「……それで、3人目の彼女には“重い”って言われました」
(また、元カノの話か……)
夜の8時。私は布団にくるまり、スマホの画面を見つめていた。
今日はなんだか、胸の奥が少しだけ苦しい。
「自分なりに頑張ったつもりだったんですけどね」
「『もっと軽くいこうよ』って、最後に言われました」
文字を追いながら、私はため息をついた。
(なんで、こんなに辛いんだろう。私は“相談を聞いてるだけ”なのに)
頭ではわかってるのに
私は冷静な“観察者”だったはずだ。
過去の恋愛相談を何百件も読んできたし、「男ってこういうとこあるよね」とか、「それ、典型的な別れ方」とか、自分なりの分析もしてきた。
だけど、今は違う。
彼が話す“過去の恋”に、私は毎回、少しずつ心を削られていく。
「2人目の彼女は、すごく優しかったんです。でも、僕が弱くなったら、離れていきました」
「『男の人に頼りたいのに、あなたにはそれができない』って言われた」
(……それ、ほんとにひどいと思う)
彼の恋の記憶は、全部「相手が去っていく」形だった。
彼が悪いわけじゃないのに、相手に捨てられる。
そんな話ばかりを、私は聞いていた。
だけど、話を聞けば聞くほど――
(私がその彼女たちよりも優れてるってことは、ないよね)
そんなふうに、自分と比べては落ち込む。
きっと、元カノたちは綺麗だっただろうし、若かっただろうし、もっと恋愛に慣れていたんだろう。
そんな彼女たちの話を、“彼の大切な思い出”として聞かされるのは、地味に辛い。
(それでも、私は聞くしかない。だって、私にできることはそれしかないから)
私のことは、聞かれない
彼は、たくさん自分の話をしてくれた。
仕事のこと、家族のこと、元カノのこと。
傷ついたこと、悩んだこと、誰にも言えなかったこと。
だけど、私の話は――ほとんど聞かれなかった。
「あなたって、どんな人なんですか?」
そう聞かれたことは、実は一度もない。
私が36歳で、派遣で、恋愛経験がゼロで、地味で、いつも一人で――
そんなこと、言いたくても言えない。
(もし彼がそれを知ったら、きっと呆れるだろう)
「えっ、恋愛したことないんですか?」とか、
「それで、よく僕の相談に乗れましたね」とか、
冗談でも言われたら、もう立ち直れない。
だから私は、話さなかった。
黙って、彼の言葉にだけ耳を傾けた。
それが、自分の“居場所”を守る方法だった。
なぜか胸が痛い
ある日、彼がふとつぶやいた。
「……ほんとは、戻りたい気持ちもあるんです。最後の彼女と」
その瞬間、胸が強く、ぎゅっと締めつけられた。
(……戻りたい?)
(私じゃ、だめ?)
頭ではわかっている。彼は私に恋をしてるわけじゃない。私はただの“相談相手”。
でも――でも――
なぜだろう。
その言葉だけは、どうしても受け入れられなかった。
「戻って、幸せになれると思いますか?」
私はそう送った。冷静なふりをして。
すると、少し間を置いて、彼から返ってきた。
「……正直、わかりません。でも、誰かに必要とされたくて」
(それって、私じゃないんだ)
それが、何よりも辛かった。
それでも、離れられなかった
「今日は、ちょっとだけ疲れてて……でも、あなたの声、聞きたくなりました」
「もしよかったら、少しだけ話せませんか?」
久しぶりに、彼から“声”のリクエストが来た。
断る理由は、なかった。
むしろ、嬉しかった。怖かった。でも、なによりも――会いたかった。
電話越しの彼の声は、優しくて、少しだけかすれていた。
お酒が入っていたのかもしれない。
彼はぽつぽつと話してくれた。恋愛の失敗、寂しさ、不安。
そして、ふいにこんなことを言った。
「あなたと話す時間が、最近、一番落ち着くんです」
「……恋愛とかじゃなくて、ただ、安心できるっていうか」
(“恋愛とかじゃなくて”……か)
私は笑ったふりをして、「それは、嬉しいです」と答えた。
でも、心の中はしんと静かだった。
彼にとって、私は“安心”。
でも、私にとって彼は――とっくに、“特別”だった。
忘れられないひと言
「もし、誰にも好かれなかったらって思うと、ほんと怖くなるんです」
「だから、優しくされると、すぐ好きになっちゃうんですよね。バカですよね」
(……バカなんかじゃない)
(そうやって言ってるあなたを、私はもう――)
言えなかった。
好きです。あなたが好き。
そう言いたくて、何度も口を開いたけど、言葉は出なかった。
彼が、私のことを“好きになったら”って想像すると怖かった。
でも、私が“好きになっている”ことは、もっと怖かった。
「おやすみなさい、また話しましょうね」
その夜、彼の声を聞きながら眠った。
イヤホンの奥で微かに聞こえた、彼の寝息。
誰にも言えない、私だけの宝物になった。
気づけば私が励まされていた
ある日、職場でミスをした。
いつもどおりデータをチェックしていたはずなのに、手が滑って、重要な数字を消してしまった。上司からは「これ、確認したの誰?」と冷たい視線。まるで空気のような存在だった私が、急にみんなの前に引きずり出されたみたいで、胸の奥がひゅっと冷たくなった。
(……もう帰りたい。消えてしまいたい)
そんな気持ちのまま、職場のトイレに駆け込んだ。
鏡に映る自分は、やつれてて、何の感情もない顔をしていた。
目の下にはクマ、唇は乾いて、髪はまとまってない。
(こんな自分、誰が好きになるの?)
思わずスマホを開いて、彼にメッセージを書きかけて――でも、やめた。
彼は“相談する側”。私は“聞く側”。
(私のしょぼい愚痴なんて、彼に送れるはずがない……)
そう思っていたのに――彼から、先に届いた。
「今日、どうしても話したくて」
はじめて、自分の話をしてみた
彼のメッセージには、いつもと違う切実さがあった。
「なんでもないことで上司に怒鳴られて、めちゃくちゃ情けなくなりました」
「帰り道、心が空っぽみたいになって、思わずあなたの声を思い出して……」
(あ……タイミング、同じだったんだ)
お互いに、しんどい一日だった。
勇気を出して、私は少しだけ自分のことを話してみた。
「私も今日、職場でやらかしました」
「怒られるのって、ほんと怖いですよね……」
彼は、すぐに返信をくれた。
「え? あなたが怒られるって、全然想像できない」
「でも、そういうときに話してくれるの、なんか……嬉しいです」
スマホの画面を見ていたら、自然と涙がこぼれた。
(……私の話でも、“嬉しい”って思ってくれるんだ)
少しずつ、言葉があふれていく
それから少しずつ、私は自分の話をするようになった。
「派遣って、やっぱり“部外者”っていう感じが強くて」
「周りに気を使ってばかりで、気づいたら自分が何を考えてるのかわからなくなるんです」
彼は、一つひとつ丁寧に反応してくれた。
「それ、わかる気がする。俺も“会社の顔”をずっと演じてる感じがして、正直しんどい」
「でも、あなたと話してると、自分に戻れる感じがします」
(わたしも、あなたと話してると、ちょっとだけ“生きてていいのかも”って思える)
言葉にはしなかったけれど、そう思った。
彼がくれた優しさが、少しずつ私の心をとかしていく。
なぜか、応援されてる気がした
彼からこんな言葉が届いたのは、その2日後のことだった。
「……あの、言っていいかわからないんですけど」
「あなたって、すごく、強い人だと思います」
思わず目を見開いた。
「えっ、私が?」
「はい。自分のことを表に出さずに、人の話をちゃんと聞けるって、俺にはできないです」
「俺、あなたのそういうところ、尊敬してます」
胸が、ぎゅっとなった。
(私を、尊敬……?)
誰かに、そんなふうに言われたこと、なかった。
私はただ、“隠れてる”だけだった。人と話すのが怖いから、自分を見せないだけだった。
それなのに彼は、私のその小さな存在を、「強さ」と言ってくれた。
あれ、励まされてるのは私?
その夜、彼と通話をした。
「疲れてるのに、ごめんなさい」
「でも、あなたの声を聞くと、ほんとに落ち着くんです」
彼はそう言った。
でも実際、通話が始まってすぐに、どちらが“癒されてる”のかは明らかだった。
「……うわ、今日の声、ちょっと明るいですね」
「なんか、安心しました。俺、たぶんあなたに依存してるかも」
(……あぁ、私も、そうかもしれない)
彼の話を聞きながら、私は思った。
相談を受けていたはずなのに、今は私の方が励まされている。
誰かと、ちゃんと向き合って話すって、こんなに温かいんだ。
“恋愛”という言葉を使わなくても、人は心を通わせることができるんだ。
そして、そんな会話の最後。彼は少し照れたように言った。
「……今日、あなたが自分の話をしてくれて、すごく嬉しかったです」
「もっと、あなたのこと知りたいなって思いました」
境界線が、溶けはじめる
これまで、“相談者”と“聞き手”だったはずの関係。
その境界線が、ゆっくりと、溶けていく音がした。
(この人は、私を“誰でもいい相手”じゃなく、ちゃんと“私”として見ようとしてくれてる)
その実感が、あたたかい光になって胸に灯る。
「また、話してもいいですか?」
そう言ってくれる彼に、私は今度こそ、迷わず答えられた。
「もちろん。私も、あなたと話すのが、いちばん楽しみです」
心の奥で、小さな何かが咲いた音がした。
「また話してもいいですか?」:相談が、習慣に変わる
「ただいま。今日も、少しだけいいですか?」
その夜も、彼から届いた一言は、まるで決まり文句のようだった。
私はその通知を見るたびに、思わずスマホを抱きしめたくなる衝動にかられる。
(……うん、今日も“私の番”がきた)
まるで、世界にひとつだけ設けられた特別な時間。
彼と話すこのひとときが、日に日に私の心をあたためていく。
「こんばんは」だけで、笑える夜
「こんばんは」
ただその一言だけのやり取りでも、こんなに嬉しいって、知らなかった。
彼のメッセージが届くたび、頬が緩む。
何気ない「今日寒いですね」とか「ラーメン食べすぎました」とか、そんな些細な報告すら、宝物みたいに感じてしまう。
(あぁ、今日も私のこと、思い出してくれたんだ)
恋って、こういうことなのかな。
相手の些細な言葉に、心がふわっと浮くような感覚。
胸の奥で、小さな灯りがぽっとともるみたいに。
習慣になる“ぬくもり”
気づけば、彼とのやり取りは「習慣」になっていた。
朝は「おはようございます」
昼は「仕事がんばってますか?」
夜は「今日も少しだけでも話せたら嬉しいです」
時間が合えば、10分でも通話をした。
忙しい日は、文字だけでも気持ちを伝えあった。
「今日さ、駅で小学生がランドセル落としちゃって」
「拾ってあげたら、お礼言われて泣きそうになった(笑)」
そんな彼の一言が、仕事の疲れを全部溶かしてくれる。
(やっぱりこの人、根っから優しいんだな)
文字越しでも伝わってくるあたたかさ。
画面の向こうで、どんな顔をして話してるんだろう。
私はその表情を、勝手に想像して、ひとりで頬を染めるようになっていた。
「あなたには、気を使わなくていい」
ある夜、彼がぽつりと言った。
「俺ね、あなたと話してる時が一番、素でいられる気がするんです」
「それって……なんでですか?」
思わず聞き返すと、彼はちょっと照れたような返信をくれた。
「なんだろ。気を使わなくていいっていうか、否定されないって安心感っていうか」
「そう言ってもらえるの、すごく……嬉しいです」
(こんな自分でも、誰かの“安心”になれるんだ)
恋愛経験ゼロで、何も知らない私が。
誰かに頼られるって、こんなにも嬉しいことなんだ。
彼が一歩踏み出してくれたように、私もまた少しずつ、心を開いていった。
夜が来るのが、楽しみになる
いつからだろう。
日が暮れていくのを、心待ちにするようになったのは。
昼間は何かしら仕事でドジを踏むし、会社では誰とも会話がない日もある。
だけど、夜になれば彼と話せる。
その確信だけが、私の一日をちゃんと終わらせてくれる。
「ねぇ、最近さ、恋愛したいって思えるようになってきた」
ある日、彼がそう言った。
(えっ……誰に、対して?)
思わず心の中で問いかけたけれど、怖くて聞けなかった。
「……それって、すごくいい変化だと思います」
そう答えるのがやっとだった。
だけど、画面の向こうの彼は、まるで私の心を読んだように、優しく続けた。
「……あなたと話してるうちに、自然に、そう思えてきたんです」
「恋愛って、怖いものじゃないんだなって」
心臓が、一拍遅れてドクンと脈打った。
まだ“好き”とは言われないけど
彼はまだ、「好き」とは言わない。
でも、その言葉を言われたら、私はどうなってしまうだろう。
きっと、息が止まって、頭が真っ白になる。
そして、怖くなって、自分のことを全部否定してしまう気がする。
(私なんか、相手にしないで)
(私じゃ、あなたを幸せにできない)
(私には、恋愛をする資格なんてない)
そんな言葉が、喉の奥にいっぱい詰まってる。
だけど、その一方で、心のどこかでは――
誰よりも彼に「好きだ」と言われたい自分が、確かに存在していた。
少しずつ、私の“声”も
そして、私は気づいた。
彼の中で、私はただの“相談相手”じゃなくなってきてる。
「あなたと話すのが、一日のご褒美みたいになってる」
「声、ちょっと低めで落ち着いてて、聞いてると安心します」
「あと、時々笑い方がかわいいですよね」
(……バカ。そんなこと言わないで)
言葉に出せなかったけど、頬は熱くなる一方だった。
(……もしかして、私は“好き”になられてる?)
希望と、疑念と、不安と。
いろんな感情が、胸の中をかきまぜていた。
それでも、“また話したい”と思える人
最初は、ただの“話し相手募集”だった。
彼の恋愛相談を聞くだけの関係。
でも今はもう、“聞く”でも“話す”でもない。
お互いに、ひとつの居場所になりつつあった。
「また話してもいいですか?」
その問いは、私の中でも、“今日が終わる合図”になっていた。
「もちろん。今日もありがとう」
そう返すたびに、少しずつ――恋が、深くなっていく。
彼の誕生日、私だけが覚えていた
「……あれ? そういえば今日って……」
その日、私は朝からそわそわしていた。
カレンダーに、何気なく小さな印をつけていた日。
彼がぽろっと教えてくれた、何気ない誕生日。
「1月12日生まれなんです。冬生まれって、なんか寂しくないですか?」
あの時、彼は冗談めかしてそう言っていた。
でも、私はその日をしっかり覚えていた。だって――
(彼の“誰にも言えないこと”を、私だけが覚えていたかった)
誰にも祝われない、そんな日
朝からメッセージが来なかった。
昼になっても、彼の名前がスマホに現れない。
普段なら「おはようございます」だけでも来るのに。
(……忙しいのかな)
でも、私は知っている。
今日は、彼にとってちょっとだけ特別な日。
彼が何をしてるのかは、わからない。
仕事かもしれないし、ただ寝ているだけかもしれない。
でも、誰もその日を覚えてないとしたら。
彼が、今日一日中“ひとりぼっち”だったとしたら。
(……せめて、私だけは)
思いきって、スマホを開く。
震える指で、ゆっくりと文字を打った。
私からの、はじめての贈り物
「お誕生日、おめでとうございます」
たったそれだけの言葉。
でも、送信ボタンを押すのに、ものすごく勇気がいった。
(うざいって思われないかな)
(重いと思われたらどうしよう)
だけど、すぐに既読がついて、そして返ってきた返信は――
「……覚えててくれたんですか?」
続いて、少し間を置いて、
「正直、誰にも言われないと思ってました」
「びっくりして、ちょっと泣きそうです」
(……ああ、よかった)
それだけで、心の底からあたたかいものがこみ上げた。
「本当は、ちょっとしたプレゼントとかあげられたらよかったんですけど……」
「言葉だけでごめんなさい」
私がそう送ると、彼はこう返した。
「ううん、こんなにうれしい“言葉の贈り物”は、初めてです」
“私だけ”の特別になれた気がした
彼の返事は、どこまでも優しくて。
でも、その一文だけが、心の奥にずっと残った。
“覚えててくれたんですか?”
それは、今まで彼がどれだけ“忘れられる存在”として生きてきたか、にじむような言葉だった。
(私だけは、あなたのことを忘れたりしないよ)
そう思った。口にはできないけれど、強く強く。
「誕生日って、自分で祝うには虚しいけど、誰かが一言くれるだけで、こんなに違うんだなって思いました」
彼の言葉は、まっすぐ私の胸に届いた。
(こんなふうに、心がつながる日が来るなんて)
私にとっても、今日が“特別な日”になった。
いつの間にか、彼のことばかり
それからの数日、私は気づいた。
頭の中の“私の時間”の半分以上が、彼のことで埋まっていることに。
コンビニで新しいお菓子を見かけたら(これ、彼が好きそう)
夜風が冷たい日には(あの人、風邪引いてないかな)
職場で褒められたときには(今日話せたら、これ伝えたいな)
いつの間にか、私の毎日には“彼”がいた。
会ったこともないのに。顔も知らないのに。
(でも、心はすでに……ずっと隣にいる)
名前を、呼びたくなる夜
「あなたって、やっぱり不思議な人ですよね」
その日、彼がそう言った。
「俺、普段は人の名前とか呼ぶの苦手なんですけど、あなたの名前……知りたくなります」
(え……)
それは、ずっと触れられなかった領域だった。
私たちは“名前”すら知らない関係。
だけど、それが心地よい距離でもあった。
「……私も、あなたの名前、聞いてみたいなって思ったことはあります」
「でも、なんか怖いんですよね。急に“現実”になる気がして」
「わかります。名前って、強いですよね」
たった一言で、相手を“誰か”から“あなただけ”に変えてしまう。
だからこそ、私たちはその一歩を、まだ踏み出さなかった。
でも、私は思った。
(この人の名前を、誰よりも優しく呼べる自分になれたら)
そう願ってしまうくらい、彼の存在は――私の中で、大きくなっていた。
“あなただけ”が届く言葉
誕生日のやりとりのあと、彼はぽつりと言った。
「あなたって、なんか……俺の“気づいてほしかった部分”に、一番先に手を伸ばしてくれる人なんです」
「そんなふうに言ってもらえるなんて……なんか、夢みたいです」
「夢なんかじゃないですよ。俺は、本当に、あなたに救われてますから」
(……救われてるのは、私の方だよ)
だけど、その言葉は飲み込んだ。
胸がいっぱいで、もう何も言えなかった。
そして、ひとつの願いが生まれた
彼の誕生日が終わるころ、私は心の中で静かに願っていた。
(来年の誕生日は、隣で「おめでとう」って言えたらいいな)
スマホの画面越しじゃなくて。
声だけじゃなくて。
直接顔を見て、笑って「おめでとう」と言えるような――
そんな関係になれたら。
それが、私がこの恋に初めて込めた、“小さな夢”だった。
“好き”と言われて混乱する
「ねぇ、今日、言いたいことがあるんです」
ある晩、彼がそう切り出したとき、私は胸の奥がざわつくのを感じた。
言葉の選び方が、いつもより少しだけ重い。
少しだけ、真剣だった。
私はスマホを握りしめたまま、文字が届くのを待った。
けれど、その一秒が永遠のように長く感じた。
(まさか、嫌われた? 距離を置きたいって言われる?)
不安と期待がごちゃ混ぜになった心臓が、早鐘のように鳴っていた。
「あなたが、好きです」
そして、画面に届いたのは――
「あなたが、好きです」
たったそれだけの言葉。
(えっ……)
思考が、止まった。
本当に、“私”に向けられた言葉なのか。
恋愛経験ゼロ、取り柄のない派遣社員で、人付き合いが苦手で、声も見た目も普通以下の“私”に?
心が、まるで揺れる水面のように静かに、けれど激しく波打った。
自信が、追いつかない
その瞬間、目の奥が熱くなって、でも、嬉しいよりも先に出てきたのは――“怖い”という気持ちだった。
(そんなはずない。彼が好きなのは、誰か別の“理想”の相手で……)
私は慌てて画面に打ち込んだ。
「……冗談ですか?」
すると、すぐに返ってきた。
「冗談でこんなこと言えません」
「でも……あなたがびっくりする気持ちも、なんとなくわかります」
「俺、自分が誰かを好きになるなんて、もう無理だと思ってたんです」
「でも、あなたと話してて、“大切にしたい人”って、自然に思えたんです」
画面にその言葉が現れたとき、涙が一粒だけ、頬をつたって落ちた。
(私のことを……“大切にしたい”って)
だけど、それでも――怖かった。
私の正体を知ったら、きっと
私の指は、震えていた。
(この人、私のことを理想化してる。
名前も知らない、顔も知らない、過去も知らない――それなのに“好き”って。そんなの、間違いだよ)
「私……そんな、好きって言われるような人間じゃないんです」
「歳も、あなたよりずっと上ですし、普通じゃないし……」
少し間を置いて、彼から返事がきた。
「それでも、俺が好きになったのは、あなたです」
「年齢とか、肩書きとかじゃなくて、あなたの声と、言葉と、優しさが、俺を救ってくれたから」
(どうして、そんなふうに……)
混乱する私に、彼はさらに言った。
「もしあなたが、不安で、自信がなくて、恋愛経験がなかったとしても」
「俺は、それを全部ひっくるめて、好きです」
誰にも言えなかった秘密
画面を見つめながら、私は思った。
彼に言わなかったことは、たくさんある。
36歳であること。派遣であること。恋愛経験がゼロなこと。
誰とも深く関われずに、ひっそり生きてきたこと。
それを全部さらけ出すのが、怖かった。
彼の気持ちが変わってしまうんじゃないかって、ずっと心の奥で怯えてた。
でも今――
(それでも、彼は“私”を見ようとしてくれてる)
その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
好きと言われるって、こういうことだったんだ
「“好き”って言われると、怖いです」
「信じたいのに、心が追いつかないんです」
私が正直にそう打ち明けると、彼は静かに言った。
「信じなくてもいいです。今すぐじゃなくていい」
「でも、あなたの心が少しずつ進んでくれるのを、ちゃんと待ちたいです」
(――待つって、簡単に言えることじゃないのに)
その優しさが、刺さるほど痛くて、でもあたたかかった。
彼は、“理想”じゃなく、“現実”の私を好きになってくれたんだ。
完璧じゃなくて、むしろボロボロの私を。
「ありがとう」が、精一杯だった
「……ありがとう。信じてみたいって、思えました」
それが、今の私のすべてだった。
“好きです”には、まだ返せない。
でも、それを伝えようとしてくれた彼に、心から「ありがとう」と言いたかった。
電話の向こうで、彼がそっと笑った気がした。
「うん。それだけで、今日はすごく幸せです」
その声を聞いたとき、私は初めて思った。
(――この人と、ちゃんと向き合いたい)
誰かの“好き”を、受け止めるって。
こんなにも、怖くて、あたたかい。
「あなたの声で救われました」:彼の告白に、涙がこぼれた
「ねぇ……今夜、少しだけ時間もらってもいいですか?」
その夜、彼から届いたメッセージには、どこかいつもと違う緊張感があった。
普段なら「少しだけ話せると嬉しいです」と柔らかく言う彼が、“お願い”するような口調だった。
私は、すぐに「もちろん」と返した。
でもその返事を送った直後、心臓が早く鼓動を打ち始めているのに気づいた。
(もしかして、何か変わる夜なのかもしれない)
通話越しの、深い沈黙
夜9時、いつものように通話がつながった。
でも、彼はすぐには話さなかった。
数秒間の沈黙が続く。まるで、言葉を選んでいるかのような呼吸の音。
「……あのさ」
「昨日、ふと気づいたんです」
私は息を飲む。
「俺……自分がここまで、人を信じられるようになるとは思ってなかった」
「……」
「何度も恋愛で失敗して、傷つけられて、もう人を好きになる資格ないって思ってたんです。
でも、あなたと話してるうちに、少しずつ自分が許されてる気がして」
彼の声は、震えていた。
でも、真っ直ぐだった。ひとつひとつの言葉が、迷いなく私の心を打ってきた。
“救われた”という言葉
「……あなたの声で、何度救われたか、わからないです」
「つながるたびに、“大丈夫”って言われてるような気がして……」
私の目に、スッと涙が浮かんだ。
(そんな……私の声で……)
「人と話すのが怖いときも、あなたの声なら大丈夫で。
あなたの“うん”っていう相づちとか、言葉を選ぶ時の静けさとか……全部が、すごく、安心できるんです」
画面のない通話だからこそ、その言葉が心に染み込む。
音が、気持ちそのものになる。
「あなたの声で、俺、ちゃんと自分を取り戻せたんです」
「……ありがとう」
その“ありがとう”が、今まで聞いたどんな言葉よりも、あたたかかった。
だめだ、もう涙が止まらない
(私の、声で……)
(誰にも必要とされないって思ってたのに)
(私なんかの言葉で、誰かが救われたなんて――)
堰を切ったように、涙がこぼれた。
私は言葉を返せなかった。
ただ、静かに、通話の向こうでしゃくり上げる音だけが響いた。
「……泣いてますか?」
「……うん、ちょっと」
「ごめんなさい。でも、俺、どうしても伝えたかったんです。
あなたのことが好きで、その好きが、ちゃんと“救われた”って気持ちと結びついたから」
「こんな感情、初めてで……」
「好きって、すごいですね。誰かに“ありがとう”って心から言いたくなるんだなって」
その言葉のひとつひとつが、胸に突き刺さった。
私も、言わなくちゃいけない気がした
彼の“好き”は、ただの感情じゃなかった。
信頼と、感謝と、安心と、希望が全部つまった、大切な気持ちだった。
だから、私も答えたくなった。怖くても。
「……私、あなたに出会えて、本当によかったです」
「私の言葉を、そんなふうに受け取ってくれたあなたがいてくれて……
生きててよかったって、初めて思えました」
「ありがとう」
それは、私の中で何かがほどける音だった。
ずっと閉じていた心の扉が、ゆっくりと開いていく音。
“救われた”のは、私の方だったのかもしれない
「ねえ、今日、ほんとは伝えるつもりなかったけど……」
私は、そっと言葉をつなげた。
「私も、あなたの声で救われてきました」
「あなたと話すたびに、“こんな自分でも誰かとつながっていいんだ”って、思えるようになったんです」
「あなたの一言が、私にとっての、生きていく光でした」
長い沈黙のあと、彼が、ふっと息を吐いたのが聞こえた。
「……うれしい。ほんとに、うれしいです」
その言葉に、また涙があふれた。
画面のない“ふたりの夜”に
その夜、私たちは長く話した。
くだらない話、過去の失敗談、笑えるエピソード、そしてまた、少しだけ未来の話。
「もし会えたら、まずどこ行きたいですか?」
「うーん……居酒屋とか、すぐお酒に逃げちゃいそう(笑)」
「じゃあ、静かな喫茶店とか?」
「それ、いいなぁ……でも、絶対緊張して何も飲めない気がする(笑)」
そんなふうに、少しずつ“次”を想像できるようになっていた。
「会ったら、たぶん泣きます」
「私も……多分、無言になります(笑)」
笑い合いながら、でも、通話が切れたあと。
私の胸には、またひとつ、あたたかい灯りがともっていた。
覚悟を決めた返信:「私も、あなたが好きです」
スマホを握ったまま、私は何度も文字を打っては消した。
「好きです」と伝えたくて。
でも、その一言が、どうしても怖くて。
(ほんとに、私なんかが“好き”って言っていいの?)
(彼の隣に並ぶ資格なんて、あるの?)
36歳、派遣社員、恋愛経験ゼロ。
自信なんて、どこを探しても見当たらない。
むしろ、言えば言うほど“幻滅”されてしまう気がして。
でも――もう、隠してばかりでは、何も変わらない。
私のすべてを、差し出す覚悟
その日、私はついに自分のすべてを打ち明けた。
名前を名乗り、年齢を明かし、派遣であること、そして恋愛経験がまったくないこと。
「これが私の全部です。
たぶん、あなたが思っていたより、ずっと地味で、経験もなくて、不器用な人間です」
「……でも、それでも」
喉が焼けるように熱くなって、涙でスマホの画面が滲んだ。
それでも、震える指で最後の一行を打った。
「私も、あなたが好きです」
返事は、静かで、あたたかくて
しばらく既読にならなかった。
きっと彼は、驚いたんだと思う。
言葉をどう受け止めればいいのか、迷っていたのかもしれない。
でも、10分後。
彼から届いた返信は、短く、でもとてもやさしかった。
「ありがとう」
「何を聞いても、何を知っても、あなたが好きって気持ちは、変わりません」
「むしろ、もっとちゃんと、あなたを大事にしたいって思いました」
私は、泣き崩れた。
スマホを胸に抱えながら、声をあげて泣いた。
(よかった……受け入れてもらえた)
(私という存在が、誰かの“大事にしたい人”になれた)
それが、人生で初めての、あたたかい肯定だった。
相談役から、恋人へ。そして――
それからの毎日は、少しずつ、確実に変わっていった。
「ただの話し相手」が、「恋人」へ。
会ったこともなかったふたりが、画面の向こうで心を通わせ、
やがて現実の約束を交わすようになっていった。
「……ねぇ、会いに行ってもいいですか?」
「……うん、私も、あなたに会いたい」
初めて顔を合わせた日、私たちは言葉を交わすよりも先に、ただ泣いてしまった。
お互いの姿を見て、確かめて、抱きしめあって――
「ここにいていいんだ」と思えた。
それは、“相談役”として出会った私たちが、
“必要とされる人”として手を取り合った瞬間だった。
私が必要とされた、はじめての場所
彼は今、となりで眠っている。
静かに寝息をたてているその顔を見ていると、どうしようもなく胸がいっぱいになる。
「今でも、ほんとに夢みたいなんだよ」
「あなたみたいな人が、俺を選んでくれるなんて」
そう言ってくれる彼に、私は笑って返す。
「選んだのは、私の方。
でも、“選ばれた”って、こんなにあたたかいんだね」
恋をするのが、こんなにも怖くて、でも、こんなにもやさしいものだなんて。
誰にも教えてもらえなかったから、私はずっとひとりで震えていた。
だけど今は――
たったひとつの「好きです」で、人生が変わった。
おわりに
最初は、“話し相手”だった。
どちらかがどちらかを頼っていた。
でもいつの間にか、支え合うふたりになっていた。
年齢も、過去も、コンプレックスも。
すべてをさらけ出したあとに残ったのは――
「あなたでよかった」という、たったひとつの真実。
私は彼と結婚した。
恋愛経験ゼロだった私が、
誰かに「おかえり」と言ってもらえる人生を、
やっと手に入れた。

