“ぼっちテーブル”で出会ったふたり|2ちゃん馴れ初め風エピソードまとめ【婚活パーティーフリータイム】

この馴れ初め話は著作権フリーで改変も自由・YouTubeの素材やSNSでご使用いただいても問題はありません。ただ以下のリンクを張っていただけたら幸いです。
はっくなび

なんでいつも、ここにいるんだろう

「残った人、こっちで〜す!」から始まるいつもの夜

照明が少し落とされた、ホテルの一室。
会場の隅では、キラキラした男女たちが笑い合い、ペアを組んで中央のテーブルから消えていく。スーツの男性たちも、花柄のワンピースを着た女性たちも、歯の浮くような言葉を交わしては「よろしくお願いしますね」「趣味が合いますね」とにこやかに立ち上がっていく。

……俺は、そこにいない。

「はいはーい、残っちゃった人〜、こっち集まってね〜!」

軽快すぎる声で叫んでいるのは、幹事の山本さんだ。
茶色のジャケットにパツパツのパンツ。明るすぎるテンションと、空気の読めなさに定評のある人物。だが、本人に悪気はないのがまた始末が悪い。

「また……か」

俺はうつむき、そっと立ち上がる。肩に乗った小さな重みは、婚活で何度も経験してきた敗北の重みだ。

「俺……“残りもの”なのか」

言葉にするのは悔しくて。だけど、他の参加者と違って俺には光るものも、話術も、スマートな服装センスもない。どこに出しても“普通”な、むしろ地味で印象の薄いタイプ。

ちなみに職業はIT系の安定企業の総務部。
友達には「安定してるし真面目だし、婚活向きだと思うよ」と言われたことがあるが、結果がこれである。

“残りもの席”にいた女

そうして案内されたのが、会場の端っこにぽつんと置かれたテーブル。
既にそこには、ひとりの女性が座っていた。

見た瞬間、正直に言えば——「綺麗な人だな」と思った。
ただ、それ以上に印象に残ったのは、彼女の目。

「死んだ魚が泳いでる」と、まさにそう表現したくなるような、焦点の定まらない、どこか投げやりな視線。
でも、疲れてるとか、気取ってるとか、そういうのとも違う。なんだろう。心がここにいないような、妙な感じがあった。

彼女は俺を見ると、ほんの一瞬だけ微笑んだ。

「……こんにちは」

「こんにちは……」

思わず姿勢を正す俺。そう、婚活の現場では、第一印象がすべてと言ってもいい。が、もうここは“あぶれた者同士”の場所。今さらカッコつけても仕方ない。

「また、ここなんです」

彼女が言った。
その声には、妙な親近感があった。力の抜けた、諦めにも似たトーン。それでも、どこか優しさを含んだ声音だった。

「……俺も、です」

すると彼女が小さく笑った。
あの死んだ魚のようだった目が、ほんの少しだけ生きたような気がした。

「余った者同士で、仲良くしますか?」

「……はい、ぜひ」

会話が自然に始まった。婚活の場では珍しいことだった。いつもなら自己PRやスペックの話から始まる。でも、今日は違った。もっと、普通で、もっと人間くさい会話だった。

それでも、なんでか話せた

「私ね、昔は結構、キラキラ側だったんです」

彼女がポツリと言った。

「でも、ある時から、こうして“あぶれる”ようになっちゃって」

「……ある時って?」

「話せるようになったら、話します。今日はまだ、無理かも」

静かにそう言った彼女の目が、また少しだけ揺れた。
何も言えなかった。でも、俺はその瞬間、なぜか思った。

「——この人、嘘をつかない人なんだな」

婚活の場で、正直というのは少数派だ。年収も、趣味も、家族構成も、少しでも良く見せようとする人ばかりの中で、この人は“話せないことは話せない”と言った。俺にはそれが、やけに誠実に思えた。

「俺……名前はまだ言ってなかったですね」

「あ、私も」

名乗ろうとして、ふと口を閉じた。
お互いの名前を出すには、まだ少し距離がある。でも——それでも。

「まあ、今日は“余りもの同士”ってことで、仮名で呼びましょうか」

「そうですね……じゃあ、私は“嫁子”でいいや。結婚したい女ってことで」

「じゃあ、俺は“俺”で」

「そのまんま(笑)」

また笑った。笑顔はほんのわずかだったが、それでも確かに、心の距離が縮んだような気がした。


話すの、ちょっとだけなら平気かも

まわりはにぎやか、でも俺たちは静かだった

婚活パーティは終盤に差しかかっていた。
会場では「最終マッチング投票用紙」が配られ、幹事の山本さんがまたしても空気を読まないテンションで叫んでいた。

「はいはーい、気になる人の番号を、思いきって書きましょう〜!」

番号を見て書く。名前じゃない。
こういう仕組みも、俺にはどうにも冷たく感じる。

隣の席では、嫁子がペンを持ったまま手を止めていた。

「書かないんですか?」

「うーん……迷ってるだけ。俺さんは?」

「……俺も、ちょっと迷ってるところです」

それは本音だった。
今日、他に話した女性のことはほとんど思い出せなかった。誰もがテンプレートのような会話で、趣味が映画、休日はカフェ巡り、あとは「料理は得意です」と、まるでどこかで読んだプロフィールみたいなことばかり言っていた。

でも、今隣にいるこの“嫁子”は違った。
うまく説明できないが、ちゃんと生きている感じがした。

「俺さんって、彼女いない歴……長めですか?」

いきなりの質問に、ちょっとむせそうになった。

「……まあ、そうですね。何年……いや、何十年……?」

「ふふ、素直に答えるんだ」

「隠しても仕方ないですし」

嫁子は少しうつむいて、テーブルに視線を落とした。

「私、ね。実は——“人と一緒にいること”が、ちょっと怖かったんです。ずっと」

話す、話さない。その境界線の上で

それは、静かに始まった告白だった。
とはいえ、嫁子は多くを語らなかった。ただ、“ちょっとだけなら話せそう”と思ったから話した、という顔をしていた。

「前に、心が壊れたことがあって」

彼女は淡々と言った。
まるで、自分のことじゃないような、静かな声だった。

「仕事も、友達も、何もかもがうまくいかなくて。ある日、パタッと、全部イヤになっちゃって」

「……うん」

「それから、ずっと人が怖くなって、婚活とか、向いてないってわかってるけど……でも、やっぱり、普通の生活がしてみたくて」

“普通”という言葉が、彼女の口から何度か出た。
けれど、それは「普通になりたい」というよりも、「普通を知らない人間の、憧れ」に聞こえた。

「わかる、かもしれません」

「え?」

「俺も、普通ってのがよくわからなくて。ずっと、どこにも馴染めない感じで生きてきたんですよ」

そう口にした俺に、嫁子は少しだけ目を見開いた。

「……でも、そういう人って、案外、いるのかもね」

「かもですね。だから、“余った”のかもしれない」

ふたりで、ちょっとだけ笑った。
その笑いは、どこか安堵に近いものだった。

投票用紙には、書かなかったけど

「……書きました?」

俺は、票の入れられた箱をちらりと見ながら尋ねた。

「……ううん。書いてない。今日一日、誰とも“恋愛”の話ができなかったから」

「じゃあ、俺も同じです。俺は……“人のことを知りたい”って思ったの、今日が初めてだったかもしれません」

「うん。なんか……ちゃんと“話せた”って感じがした」

投票の結果発表が始まっていたが、俺たちは興味を持たなかった。
会場の中央で「カップル成立!」と拍手が上がる中、俺たちはただ隅で静かに、テーブル越しに座っていた。

やがて、終了のアナウンスが流れた。参加者が帰り始める。
俺たちも、席を立った。

「じゃあ、またいつか、“残りもの”として会いましょうか」

「ふふ、じゃあそのときも“俺さん”で」

「嫁子さんも、そのままで」

エントランスまで並んで歩いたあと、自然とそれぞれの帰路へ向かう。

でも、俺は思った。

——あの人と、また話したい。


また会えたら、それでいいと思ってた

「あの…この前の、俺です」

それから数日後。
仕事の昼休み、スマホをなんとなく眺めていたとき、あの婚活パーティの運営から「参加者限定コミュニティ」の案内が届いていた。

普段ならスルーする通知。だが、今回は違った。
名前も知らない、けれど“話せた”あの女性——嫁子さん。
また、あの人に会えたらいいな。そんな思いだけで、登録した。

不思議なことに、その中の掲示板に“嫁子”と名乗るユーザーが投稿していた。

《また“余った者同士”で、お話できたらいいなと思っています》

間違いない。あの人だ。
その投稿にはコメント欄があり、俺は震える指で文字を打った。

《あの時の、俺です。よかったら、また話しませんか》

ひとつの返事が、ものすごくうれしかった

それから3時間後。返信があった。

《俺さんへ。覚えてます。あの時間が、私にとってもすごく救いになったから……ありがとう。また、会いたいです》

手が震えた。こんなことで?と思われるかもしれない。けれど、俺にとって“また会いたい”なんて言われるのは、人生で数えるほどしかなかった。

それからやりとりを重ね、次の土曜日の昼に会う約束をした。

場所は、俺が前から気になっていた喫茶店。
名前は「珈琲 水面(みなも)」。レトロで落ち着いた雰囲気、少し隠れ家的な場所だった。

喫茶店の窓辺で、コーヒーの香りと

当日、俺は30分前に着いてしまった。
緊張と、少しの期待。落ち着かない時間をなんとか潰しながら、待ち続ける。

そして、時間ぴったりに店の扉が開き、嫁子が現れた。

「……待たせました?」

「いえ、俺が早すぎたんです」

今日の嫁子は、淡いグレーのカーディガンに、シンプルなロングスカート。
パーティで見たときより、少しだけ柔らかい雰囲気だった。

「この店、いいですね。静かで」

「はい……ちょっと穴場なんです」

注文を終えて、ふたりともカップを手にする。
静かなBGMと、コーヒーの香り。話しやすい空気が流れていた。

「前に、普通の生活をしてみたいって言ってましたよね」

「……うん」

「今日はその……ちょっとだけ、“普通”してみませんか?」

俺の言葉に、嫁子は目を丸くした。
それから、少しだけうつむいて、笑った。

「じゃあ……“普通の質問”から、いってみようか」

「お。なんですか?」

「朝、目覚まし何回で起きるタイプ?」

思わず吹き出した。

「最低3回です。1回で起きられる人、尊敬します」

「わかるー……私も。3回目の“これヤバい”でやっと動く」

それから、しょうもないけど笑える話を、ひたすら続けた。
好きなパン、コンビニのおにぎりの具、カラオケの十八番。

パーティでは絶対に出ない話ばかり。
だけどそれが、“ちゃんと会話してる”感じがした。

「あのね、少しだけ……話してもいい?」

1時間ほど経った頃、嫁子がふと真剣な顔になった。

「俺さん。さっき、“普通をしてみよう”って言ってくれたでしょ?」

「うん」

「そのおかげで、ちょっとだけ……話してみようって気になった」

俺は黙って頷いた。
話してもらえること、それ自体が、彼女の大きな勇気だと感じたから。

「前にね、全部投げ出した時期があったの。仕事も、友達も、何もかも」

「うん」

「その時、実家に戻って、1年くらい……ずっと外に出なかった」

言葉は静かだった。でもその奥には、たくさんの傷が隠れているように思えた。

「その間、誰にも会わなかったし、自分が“このまま誰とも関われない人間”になっちゃうんじゃないかって……怖かった」

「……わかる気がします。俺も、ずっと“誰にも選ばれない側”でしたから」

嫁子がこちらを見た。
そして、言った。

「ありがとう。俺さんは……たぶん、最初から“ちゃんと人の中身を見てる人”なんだね」

その言葉が、なぜか胸に刺さった。
俺は人のことをよく見ている自覚なんてなかった。ただ、目の前にいるこの人のことが、知りたかっただけだ。

「また……こうして、話してもいいですか?」

嫁子のその問いに、俺は大きく頷いた。

「はい。俺でよければ、いつでも」

その日、俺たちは喫茶店を出てからも、しばらく並んで歩いた。
会話は絶えなかった。季節の話、街の匂い、目に映る景色。

そのすべてが、なんだか新鮮だった。


ふたりでいると、ちょっとだけ普通になれる

「次、どこ行きたいですか?」

あの喫茶店から一週間後、俺たちはまた会うことになった。
今度は嫁子から、「もしよかったら、散歩とか……行きませんか?」と提案してくれたのだ。

俺は二つ返事でOKした。
行き先は、嫁子の希望で近所の大きな公園。春が始まりかけた空気の中、まだ肌寒いけれど、陽射しだけは少しずつ柔らかくなってきていた。

「ここ、来るの久しぶりなんです」

「そうなんですか?」

「うん。心を病んでたときは、こういう場所にも来られなかったから……今でも、少し緊張する」

俺は歩調を嫁子に合わせながら、静かに頷いた。
たしかに、公園の中は子ども連れや、恋人同士や、笑顔の人でいっぱいだ。

「でも、俺さんとなら大丈夫かも」

「……え?」

「変に気を遣わなくていいから。沈黙になっても平気っていうか、ほっとする」

そんなふうに言われたのは、初めてだった。
俺はずっと、“空気”にならないように必死だった。人の輪に入るとき、沈黙を恐れ、意味もなく話してしまう自分を、みじめに思ったこともある。

でも、嫁子の隣では——沈黙が、心地よかった。

ベンチに座って話す“なんでもない話”

「なんか食べます? 屋台とか出てますよ」

「……あ、じゃあ、焼きとうもろこし食べたい」

「おっ、いいですね。じゃあ俺も」

一緒に食べながら歩くと、嫁子がとうもろこしを持ったまま笑った。

「子どもの頃、これが大好きだったの。母親が焼いてくれて」

「俺は、なぜか“醤油が焦げる匂い”が好きで……匂いだけでご飯食べてた記憶ある」

「わかる、それ(笑)」

ベンチに座って食べ終わる頃、少し風が強くなってきた。
嫁子の髪が風に揺れて、彼女は慌てて手で抑えながら笑った。

「こういうの……何年ぶりだろう」

「外で、誰かと一緒に食べるのが?」

「うん。気を張らずに、普通に、ね」

俺たちはベンチに並んで座りながら、少しずつ空が夕方色に変わっていくのを眺めていた。

「俺さんってさ、いつも優しいけど……誰にでもそうなんですか?」

「いや……そんな器用じゃないです」

「じゃあ、私だけ?」

少し意地悪そうな顔をして、嫁子がこちらを見る。
その顔に、“弱さ”だけじゃない、確かな茶目っ気を見た。

「……多分、そうですね」

言ったあとで、自分がどれだけストレートなことを言ったかに気づき、恥ずかしくなった。
でも嫁子は、笑った。

「ありがとう。それだけで、今日来てよかったって思えた」

その言葉に、救われるような気持ちになった。

ふたりの“予定”が生まれた日

帰り道、駅の前で立ち止まったとき、俺は思い切って聞いた。

「また、来週も……会いませんか?」

嫁子は、一瞬驚いた顔をしてから、小さく頷いた。

「うん。来週……じゃあ、次は……料理とか、一緒にする?」

「料理?」

「うん。私、最近リハビリがてら料理するようになって。もしよかったら、俺さんにも付き合ってもらいたいなって」

心のリハビリ。そんな言葉を、ふと思い出した。
この人は今、自分の心を元に戻すために、小さな“普通”をひとつずつ拾い集めてるんだ。

「いいですよ。俺でよければ、ぜひ」

「じゃあ、来週うち来てください。カレーくらいしか作れないけど」

「カレー、大好物です」

嫁子は笑った。
その笑顔は、今まででいちばん自然だった。


カレーと、ひとりじゃない時間

「ようこそ、汚部屋へ」

約束の土曜日。
嫁子の最寄駅で待ち合わせ、そこから10分ほど歩いた場所にあるマンションに着いた。

「ここです。あんまり広くないけど……どうぞ」

通されたのは、2LDKのシンプルな部屋。
確かに人の気配があまり感じられない部屋だったけれど、不思議と落ち着いた空気があった。

「お茶淹れますね。あ、冷たいのと温かいのどっちがいいですか?」

「じゃあ……温かいほうで」

「了解です、“ぬるめの人生”が好きな俺さんにはちょうどいい温度にしますね」

そう言って、嫁子は笑った。
軽口が出るようになったのが、俺にはうれしかった。

テーブルには、すでにカレーの材料が用意されていた。
玉ねぎ、じゃがいも、人参、牛肉——それぞれきちんと整えて並んでいる。準備してくれた時間を想像して、胸が少し熱くなる。

「じゃあ、俺も手伝います」

「じゃあ、玉ねぎお願い。目が痛いのは俺さん担当で」

「お任せください……涙には慣れてます」

「なんの悲壮感(笑)」

包丁を握りながら、俺たちはまた、普通の話をした。
テレビ番組のこと、昔の給食のカレーの思い出、好きなトッピング。

「……俺さん、昔ってどんな子どもだったの?」

「えーと、内気で、運動できなくて、でも図工だけは褒められてた気がします」

「うわ、イメージ通り(笑)」

「そっちは?」

「私は……ずっと“いい子”だった。成績も、服装も、言葉遣いも。親が厳しくて、ずっと“ちゃんとした子”やってた」

「それって、疲れるでしょう?」

「うん。疲れて壊れた」

その言葉のあと、一瞬だけ空気が止まった。
でも嫁子は、笑っていた。

「でも、またこうして誰かと一緒に料理してるって……なんか、すごい回復だなって自分でも思う」

「すごいですよ。今日のカレー、絶対うまいです」

「責任重大〜」

「一緒に食べるって、あったかいんですね」

できあがったカレーは、少し甘めで、でもコクのある味だった。
テーブルにふたり並んで座って、いただきますをした。

「どうぞ」

「いただきます……って、これ本当にうまいです」

「ほんと? よかった……人に食べさせるの、ちょっと緊張するね」

「人に“ちゃんと”作ってもらったご飯って、なんか沁みますね」

「……それ、私も思ってた」

スプーンを持ったまま、嫁子がつぶやいた。

「病んでた時、食べるのもしんどくて、コンビニとか、レトルトばっかりで……味がしなくなってた。何を食べても、ただお腹を満たすだけって感じで」

「うん……」

「でも今、俺さんと一緒に作って、食べて……“味”がちゃんとあるって感じる。そういうの、何年ぶりかな」

俺は黙って、うなずいた。
言葉はなかったけれど、胸の奥でなにかがあったかくなっていた。

「……また、来てくれますか?」

「もちろん。毎週でも」

「毎週は重い(笑)」

「じゃあ、隔週で」

そんな冗談を言い合いながら、食後のコーヒーを飲んだ。
嫁子の顔が、少しだけ眠たそうで、穏やかだった。

「……俺さんって、“そばにいてくれる人”って感じがする」

「それは……俺史上一番の褒め言葉です」

「ふふっ」

その夜は、遅くならないうちにおいとました。
でも帰り道、俺のポケットの中には、嫁子がくれた手書きの“次回の買い物メモ”が入っていた。

《次はシチューに挑戦! 俺さんへ:にんじんは斜め切りでよろしく!》

それがなぜか、妙にうれしかった。


ちょっと違う、でもそれがいい

「俺さんって……“人に踏み込む”の、苦手ですよね」

次に会ったのは、雨の日だった。
予報では曇りだったが、昼過ぎからしっかり降ってきて、俺は傘を差しながら嫁子の家へ向かった。

「来てくれてありがと。今日は……雨、嫌いじゃないんです」

「え?」

「外に出られなかった時期、家の中にいても雨の音だけは聞こえたから……唯一、“世界とつながってる”感じがしたんです」

その言葉に、俺は少し胸を締めつけられた。
同時に、雨音が急に優しく聞こえた。

「今日は何を作るんですか?」

「今日は……“煮込みうどん”。あったまるやつ」

「最高ですね」

エプロンをつけて、材料を出す。
作業も慣れてきて、動きはスムーズ。けれどその日の嫁子は、少しだけ……よそよそしかった。

「あの……今日、なんかありました?」

「……気づきますね、そういうの」

「なんとなく、ですけど」

少しの沈黙のあと、嫁子は静かに口を開いた。

「俺さんって、人に優しいけど……踏み込むのは苦手ですよね」

俺は、言葉に詰まった。

「この前も、私が泣きそうになっても、なにも言わなかった。今日も、私が少し変な態度しても、無理に聞こうとしない」

「……それが、俺なりの“配慮”だったんです」

「わかってます。でも……本音を言うと、ちょっと寂しいときもある」

正直だった。俺は自分の“優しさ”が、逆に距離をつくってしまっていたことに気づかされた。

「……ごめんなさい。でも、俺……人に踏み込むのが、怖いんです」

「どうして?」

「嫌われたくないから。無理に聞いて、傷をえぐって、もう会ってもらえなくなったらって思うと……踏み出せない」

それを聞いて、嫁子はふっと笑った。
冷たい笑いじゃない。少しだけ、あたたかいものが混ざっていた。

「そっか。じゃあ今度からは、私のほうから“聞いていいよ”って言うね」

「……はい、お願いします」

ふたりは顔を見合わせて、小さく笑った。
そうして、また台所に向き直る。

煮込みうどんの匂いが部屋に満ちて、ふたりの間にあった少しの空白を、ゆっくりと埋めていった。

「ぶつかるって、悪いことじゃないんだね」

その日の夜、食後に片づけを終えたあと。
嫁子が少しだけ真面目な顔で言った。

「実は今日、朝から少し気持ちが不安定で。外に出るのも怖かったけど、俺さんが来てくれると思って、なんとか玄関開けたの」

「そうだったんですか……気づけなくて」

「違うの。気づかれたくなかったの。だけど、心のどこかでは……“気づいて”って、思ってた」

俺は黙って彼女の隣に座った。

「……そういうときって、俺にできること、なんですか?」

「うーん……たとえば、ただ隣にいて、コーヒー淹れてくれるだけでいい」

「それなら、得意分野です」

「じゃあ、次からそれで」

「はい」

沈黙が降りた。けれどその沈黙は、重くなかった。
むしろ、信頼でつながった無言だった。

「ぶつかるって……悪いことじゃないんだね」

「うん。ぶつかるのって、“一緒にいたい”ってことだから」

「……俺、がんばって、もっと踏み込めるようになります」

「私も、もっとちゃんと“頼る”ようにします」

その日、玄関を出たあと、俺はマンションのエントランスで少し立ち止まった。
ふと見上げた雨空は、少しだけ明るくなっていた。


ふたりでつくる、ちいさな普通

「これが、しあわせってやつなんでしょうか」

春が本格的にやってきた。
俺と嫁子は、毎週ではないにしても、月に3〜4回は会うようになっていた。料理をしたり、喫茶店で本を読んだり、公園を歩いたり——特別なことは何もない。ただ、一緒にいる時間が少しずつ当たり前になっていった。

この日は、珍しく嫁子のほうから提案があった。

「ちょっと遠出、してみませんか?」

「遠出?」

「うん。近くの温泉街。日帰りで、電車で一時間くらい。行ってみたい場所があるの」

そんなことを言う嫁子は、以前よりもずっと表情が明るかった。
外出を怖がっていた彼女が、自分から“出かけよう”と言ってくれた。それが、なによりうれしかった。

当日。
電車に揺られながら、窓の外の景色を眺めていると、嫁子がつぶやいた。

「……俺さんと出かけるの、初めてですよね。こんなに遠くまで」

「ですね。小旅行、みたいな」

「なんか……ふたりで家族になったら、こういうの思い出すのかなって、ちょっと思いました」

その言葉に、俺は驚いて彼女の横顔を見た。
けれど、嫁子は照れたように笑っていて、それ以上は何も言わなかった。

小さな温泉町で、肩を並べて歩く

温泉街は、古い街並みと、湯気の立ちのぼる道沿いがどこか懐かしい雰囲気だった。

「ここ、雑誌で見たことあって……足湯があって、お団子が食べられるんです」

「足湯と団子……なんか最高ですね」

嫁子は、足湯に入るとふぅっと大きく息を吐いた。

「こういう時間、ずっとなかったから」

「俺もです。なんか、ちゃんと“今”を生きてるって感じがする」

「うん……本当に、そう」

そのあと入った小さな茶屋で、団子と緑茶を注文し、ふたりで静かに味わった。

「俺さんと会う前は……こういう日が来るなんて思ってなかった」

「俺も、同じです」

「心って……こんなふうに、少しずつ戻ってくるんですね。無理に元気にならなくても、いいんだってわかった気がする」

嫁子の言葉は、どこまでも静かで、あたたかかった。

「それ、たぶん……俺も、同じです」

「ふふ、同じばっかり」

「いや……同じって、けっこう大事じゃないですか?」

「そうですね、“一緒”って、なんかいい言葉です」

俺たちはそのあと、手を繋いだ。
自然な流れだった。誰が言い出したわけでもなく、歩いている途中で、そっと手が重なった。

手のひらがあたたかかった。
それだけで、“ふたり”になれた気がした。

「普通が、こんなに愛しいなんて」

夕方、帰りの電車。
窓の外には、橙色の夕日が沈みかけていた。

「今日は、なんだか“夢みたい”でした」

「でも現実ですよ。嫁子さん、俺の隣にいるし」

「うん。……俺さんって、すごいですね」

「なんで?」

「何もしてないのに、ここにいるだけで、気持ちが落ち着く」

「それ、よく言われ……たことはないけど、うれしいです」

「ふふ。私は今、ちゃんと“しあわせ”を感じてるって、自分でわかる」

その言葉が、ずっと胸に残った。

嫁子が笑った。

「ねぇ……こんな日々が続いたらいいなって思ってます」

「俺もです」

たったそのひとことが、今まででいちばん自然に言えた。

次の駅に着くころ、車内の灯りがついた。
俺たちは、手を繋いだまま、静かに座っていた。

まるでそこが、自分たちだけの小さな世界みたいだった。


話せなかったこと、話せた日

「ずっと……理由を言えなかったんです」

次に会った日。
いつものように嫁子の家でカレーを作り、食べたあと、ふたりでベランダに出た。春の夜風が心地よく、風が吹くたびに、物干し竿がかすかに揺れる音がした。

「ねぇ、俺さん」

「はい」

「……今日、話してもいいですか? “理由”のこと」

俺は、姿勢を正して頷いた。

「はい。もちろん、聞かせてください」

嫁子はしばらく黙って、空を見上げていた。
それから、静かに言葉を紡いだ。

「私、昔……婚約してた人がいたんです」

「……」

「大学の頃から付き合って、社会人になってからプロポーズされて。両親にも紹介して、式場も決まってて。でも、ある日、その人が突然いなくなった」

「いなくなった……?」

「何の前触れもなく、連絡が取れなくなって。結局わかったのは、“他に好きな人ができた”ってことでした」

俺は言葉を失った。
ただ、黙って嫁子の手に自分の手を添えた。

「そのとき、自分の価値が全部なくなった気がして……誰からも選ばれない存在なんだって思い込んだ。それで、心を壊して、会社も辞めて、ずっと引きこもってた」

嫁子の目には、涙が浮かんでいた。

「でも……今、俺さんがいてくれて、“もう一度、人を信じてもいいかもしれない”って思えるようになったの。ほんとに少しずつだけど」

「……ありがとう。話してくれて」

「うん。ようやく言えました」

彼女は、涙を拭きながら笑った。その笑顔は、過去を抱えたまま、それでも未来を見ようとする人の顔だった。

俺は、深く息を吸って言った。

「俺も、話します」

「俺も、“選ばれた”ことなんてなかった」

「俺……学生時代も、社会人になってからも、ずっと人の輪に入れなくて、“いてもいなくてもいい人”でした」

「……」

「周りが恋愛して、結婚して、家を買っていく中で、自分だけ時間が止まってる気がして。誰にも必要とされてないんじゃないかって、思ってました」

「……俺さんも、同じだったんですね」

「でも、嫁子さんと会って、話して、笑って……初めて、“この人に必要とされたい”って思えたんです」

ふたりの間に、静かな夜風が通り抜けた。
そして、俺はその沈黙を破るように、言った。

「——俺と、結婚してください」

嫁子は驚いた顔をして、こちらを見つめた。

「え……」

「すぐじゃなくていい。でも、これからも一緒にいてほしい。ふたりで、あのときのテーブルから始まった“普通”を、これからも一緒に作っていきたい」

嫁子は、小さく笑って、涙を浮かべたまま頷いた。

「……はい。“余りもの同士”で、ちゃんと幸せになりましょう」

俺はその手を、しっかりと握った。
“理由”があったとしても、それを越えて——ふたりで未来を選んだ夜だった。


ちゃんと幸せになれました

「結婚式、しませんか?」

あれから数ヶ月後。
ふたりは籍を入れ、慎ましく、穏やかな新生活を始めた。引っ越したアパートは、小さな2LDK。だけど、そこには笑い声とあたたかい匂いがあった。

洗濯物を干すときも、食器を並べるときも、嫁子が“ちゃんと生活してる”姿を見るたびに、俺は嬉しくてたまらなかった。

ある朝、嫁子がトーストをかじりながら、ふいに言った。

「……ねぇ、結婚式って、どう思います?」

「え?」

「派手なやつじゃなくて、ほんとに身内だけで、ささやかなやつ。やりたいなって……少しだけ思って」

その言葉には、いろんな想いがにじんでいた。
かつて失ったもの。諦めたもの。そして、もう一度“選ぶ”ということ。

「俺も、したいです。あのとき、“誰にも選ばれなかったふたり”が、今こうして一緒にいるってことを、ちゃんと形にしたいです」

嫁子は、少し涙ぐみながら笑った。

「ありがとう……じゃあ、やろう。小さくていいから、ふたりで決めた式を」

「余った者同士で、夫婦になりました」

結婚式は、駅前の小さなチャペルで行われた。
招待したのは、お互いの家族と、数人の友人、そして……幹事の山本さんだった。

式の後、披露宴というよりは“食事会”に近い時間の中で、俺は皆の前で、短くスピーチをした。

「——僕たちは、婚活パーティの“残りものテーブル”で出会いました。選ばれなかった人たちが、最後に追いやられた場所で」

会場の一部から、小さな笑いが漏れた。
山本さんが「それ俺が作ったんですよ!」と明るく叫ぶ声に、さらに笑いが広がった。

「でも、あのテーブルで出会えたことが、今では本当に奇跡だったと思っています。“余りものには理由がある”って、言われたことがありました。でも今は思うんです。“理由があっても、それでいい”って」

俺の横にいた嫁子が、そっと俺の手を握った。

「一緒に泣ける人がいる、一緒にごはんを作る人がいる、ただそれだけの“普通”が、僕にとってはなによりの幸せです」

会場のあちこちで、目元を拭う音がした。

「だから今日、こうして皆さんの前で言いたいんです。——俺たちは、ちゃんと幸せになれました」

ふたりの未来は、ずっとこの先にある

式のあと、夕方になって、俺たちはチャペルの前で写真を撮った。
その横に、あの日のテーブルの写真を合成したパネルが置かれていた。

“残りものテーブル”——
だけど、そこから始まったふたりは、今こうして並んで立っている。

「……あのとき、“また会いましょう”って言ってよかったです」

嫁子が、小さく言った。

「ほんとに。俺も、あの日がなかったら……今も“普通の生活”なんて知らないままでした」

手をつなぐと、指のあいだがぴったりと重なった。

「これからも、いろんなことがあると思うけど……大丈夫ですよね、俺さんとなら」

「もちろん。“余りもの”には、“可能性”が詰まってますから」

「ふふ、それ名言」

ふたりは笑った。
たしかに人生には、選ばれなかったり、届かなかったり、失ったりする瞬間がある。けれど——

それでも、もう一度歩き出す勇気があれば。

“余ったふたり”でも、ちゃんと幸せになれる。

そしてそれは——
とても普通で、かけがえのない、愛おしい未来だった。

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