フェニックス騎士団とは?

フェニックス騎士団とは?

不死鳥の名前を背負って立ち上がった人たち

「フェニックス騎士団」って、ただの秘密のグループじゃないんです。彼らは“死んでもまた蘇る”という伝説の鳥・フェニックスの名前を持っています。この名前からして、彼らがどんな想いで、どんな痛みを抱えて戦ってきたのかが伝わってくるんです。

最初にこの騎士団が結成されたのは、ヴォルデモートが闇の勢力をどんどん広げていた第一次魔法戦争のとき。魔法省が何もできなかった時代に、誰かが立ち上がらなきゃ…って思ったダンブルドアが中心になって、心ある魔法使いたちを集めて生まれたのがフェニックス騎士団。大人の本気、って感じです。

でも、そんな彼らの多くは命を落としています。名前も出てこない人たちまで、闇に飲み込まれていった。これは、ただの「秘密組織」じゃなくて、「誰かのために命をかけることができる人たちの集まり」だったんですよね。


小説と映画で描かれた“光と闇”のリアル

仲間の死が重すぎて、胸が詰まる

『不死鳥の騎士団』(第5巻)で、ハリーははじめてちゃんとこの組織のことを知ります。シリウスがその一員で、ルーピンもいて、モリー・ウィーズリーまで。子どもだったハリーにとって、大人たちが戦っている姿を目の前にするのは、たぶん、初めて本当の「戦争」を意識した瞬間だったんだと思います。

けれど、戦争には代償がつきもので…あのとき、シリウスは死んでしまいます。ハリーの目の前で、何も言わずに、ベルラトリックスに呪文をかけられて。その瞬間、ハリーの目に映ったのは、「守ってくれてた大人の死」でした。

この騎士団って、「生き残った人たち」がすごいんじゃなくて、「大事な人を失いながらも戦い続けた人たち」がすごいんです。モリーだって、ビルが顔を傷つけられて、フレッドを失って、それでも泣き崩れながら戦っていました。守りたいものがあるから、立ち止まれなかった。子どもたちに同じ思いをさせたくなかった。それがフェニックス騎士団の魂なんだって、私は思うんです。


「呪いの子」で見えた“続いていた絆”

名前は消えても、想いはずっと残ってる

『ハリー・ポッターと呪いの子』では、フェニックス騎士団そのものの活動は描かれません。でも、それでも「この人たちの遺志は今も息づいてる」ってはっきり分かる場面がたくさんありました。

ハリーが息子・アルバスと向き合えなくて苦しんでいたとき、昔の仲間たちがそっと寄り添ってくれます。マクゴナガル先生やジニー、時にはドラコさえも。それぞれに傷を抱えてるけど、心のどこかで「また世界が暗くなったら、私たちは立ち上がる」って思ってる。声に出さなくても分かる繋がりって、こういうのを言うんだと思います。

ダンブルドアの肖像画が残した言葉のひとつひとつが、かつての騎士団の重みをそのまま背負っているようで…この世界では「騎士団」という名前は消えたかもしれないけれど、人と人を繋ぐ火はまだ消えてない。私はそう信じています。


フェニックス騎士団は“死なない希望”の象徴だった

作者はきっと、世界の中に「諦めない心」を描いた

J.K.ローリングがこの騎士団を物語の中でどう描いたかを考えると、それは「人間の弱さ」と「それを越える強さ」その両方を映した鏡みたいに思えてきます。

ヴォルデモートって、「死への恐怖」が動機のキャラクターなんですよね。彼は死にたくないから、人間性を捨ててまで魂を分けて、醜い姿になっても生き続けようとした。でもフェニックス騎士団の人たちは、「死ぬことを恐れない」どころか、「誰かのために死ぬことさえ選ぶ」強さを持っていました。

だからこそ、物語は「命を失っても希望は死なない」という形で終わっているんです。戦った人たちがいなくなっても、次の世代に想いがつながってる。その想いの中にこそ、本物の“魔法”があるのかもしれません。


もう一度立ち上がった人たち

フェニックス騎士団の“再結成”は悲しみの中から始まった

ヴォルデモートが復活したのは『炎のゴブレット』のラスト。あの墓場のシーン、震えるほど怖かった。でもそれよりも胸に残ったのは、ダンブルドアがすぐに「フェニックス騎士団を再結成する」と決めたことでした。誰にも信じてもらえなかったハリーの言葉を、真っ先に信じたのはダンブルドア。そして、彼はすぐに動いた。

この“再結成”って、すごく重たい言葉ですよね。だって、それは「また誰かが死ぬかもしれない」って分かってて、それでも前に進む覚悟を決めたってことだから。第一次魔法戦争で仲間をたくさん失ったのに、それでもまた戦うって決めた人たちの強さに、私は涙が止まりませんでした。


毎日が恐怖と隣り合わせでも、日常を守ろうとした

騎士団の活動は、“誰かの笑顔”を守ることだった

第二次魔法戦争が始まると、フェニックス騎士団の人たちはあちこちで動きます。監視、見張り、情報収集、警護…。たとえばハリーがプリベット通りから出る時も、ものすごく慎重に準備されていたし、魔法省が信用できなくなった今、騎士団だけが頼りだった。

でも、彼らはただ戦っていただけじゃないんです。モリー・ウィーズリーが“グリモールド・プレイス”で家事をしていた姿を思い出してください。あの場所は作戦本部だけど、同時に“家”でもあった。料理を作って、部屋を掃除して、家族のように接して…。その裏には、「戦争の中でも日常を壊したくない」って想いがあったんだと思います。

誰かが笑っていられるように、子どもたちが安心して眠れるように、あの人たちは毎日命を削っていた。魔法で戦うことだけが騎士団の仕事じゃなかったんです。誰かの大切な今日を守ること、それこそが彼らの“魔法”だったんだと思います。


戦いの終わりと、そのあとに残ったもの

大切な人がいなくても、希望は渡された

最終決戦――ホグワーツの戦い。あの日、フェニックス騎士団の人たちは全員が立ち上がりました。先生たちも、保護者たちも、元騎士団の仲間も、みんなが自分の意思で「戦う」と決めてホグワーツに集まったんです。

この戦いで、たくさんの命が失われました。ルーピンとトンクス。フレッド。大人も、子どもも。でも、その中で決して消えなかったものがある。それが“希望”でした。

あの戦いのあと、世界はゆっくりと元に戻っていきます。だけど、その“元の世界”を作り直したのは、フェニックス騎士団の人たちだった。自分の痛みを抱えながら、それでも前を向いた。ハリーが“戦いの英雄”として持ち上げられることを嫌がったのは、彼ひとりが戦ったんじゃないと知っていたから。みんなの涙と痛みでできた勝利だって知ってたから。


終わったようで、終わってない“火”の物語

騎士団はいつでも、心の中で生きている

騎士団は「戦争が終わったから解散」したわけじゃないんです。名前としては消えたけど、その想いはずっと人から人へと受け継がれている。

ジニーが母として子どもを育てている今。ネビルがホグワーツの教師として、次の世代に魔法を教えている今。そのひとつひとつが、「もう誰も泣かせないため」の選択だったと思います。

作者であるローリングさんは、ただ“正義は勝つ”っていう単純な物語を描いたわけじゃなくて、「勝ったあとにどう生きるか」「大切な人を失ったまま、どう前を向くか」っていうことを、フェニックス騎士団を通して見せてくれたんだと思います。

彼らのように、自分よりも誰かを守るために立ち上がれる人がいる限り、きっと世界は真っ暗にはならない。そう信じたくなる物語でした。