猫皿の猫たち(アンブリッジの皿)あれは何?魔法?
ピンクの壁に、たくさんの猫が動いてる不気味さ
アンブリッジが登場するとき、まず一番印象に残るのは部屋の壁。ピンクの壁紙、フリルのついた家具、そして何よりも目に焼きつくのが、壁にずらりと並べられた「猫の絵皿」。ただの飾りじゃなくて、その猫たちは皿の中でリアルに動いていて、まるで生きてるみたい。しっぽをふったり、なめたり、こっちを見つめたりしてる。
小説では細かく描写されていないけど、映画『不死鳥の騎士団』ではこの猫皿たちが大きな存在感を放っていて、あの部屋に足を踏み入れるだけで、観る人は不安と違和感を感じる。それもそのはず。「かわいい」の皮をかぶった「支配の空気」が、部屋全体から滲み出てるから。
猫=アンブリッジの心の中の理想?それとも、偽りのやさしさ?
アンブリッジは見た目も話し方も「丁寧」で「お上品」で「ニコニコ」している。でも、言っていることやしていることは、めちゃくちゃ残酷で一方的。彼女が魔法省からホグワーツに送り込まれてきたとき、まさに「恐怖政治」が始まった。
じゃあ、なんで猫なのか?
猫って、どこか気まぐれで、自分の世界を持っていて、ちょっと人間に媚びない感じがある。でもアンブリッジの猫皿の猫たちは、自分で動いてるように見えて、実は完全に「飾り物」。彼女の「理想のかわいさ」と「支配の形」がそこに詰まっている。
つまり、「自分がかわいいと思う世界」だけを集めて、その中に他人も閉じ込めようとしているのがアンブリッジ。猫たちは、アンブリッジの「強制された平和」と「歪んだ愛情」の象徴とも言える。
ほんとは怖い?ピンクの部屋と猫たちが見せる「恐怖」
呪いの子でも続く「上からの支配」の象徴
『呪いの子』ではアンブリッジはヴォルデモート勝利の未来の中で、再びホグワーツの「支配者」として登場する。そのときの彼女の態度も、昔と全く変わっていない。にこやかに話しながら、言うことを聞かない生徒には冷酷な罰を与える。
この未来でも、きっと彼女の部屋には猫皿がある。描写はそこまでないけれど、「アンブリッジらしさ」が残っている限り、あの「飾られた猫たち」も彼女のそばから消えていないはず。
猫たちはアンブリッジが「自分の理想を押し付ける」ために使っているツール。やさしいフリをして、自由を奪う象徴。これは、ファンタビなどで描かれる「魔法界の中の差別や階級構造」にもつながってくる深いテーマでもある。
ローリングが猫皿で伝えたかった「本当の怖さ」
表面の「かわいさ」が隠している残酷さ
J.K.ローリングは、アンブリッジというキャラクターに対して、シリーズの中でも特別な嫌悪を込めて描いている。彼女は「悪人」ではないかもしれないけど、「正しさを盾にして他人を押さえつける人間」の象徴。
猫皿の猫たちは、そういう彼女の「かわいくて理想的で、でも他人には絶対に押し付けたくない世界」を視覚的に見せている。それがすごくうまい演出。
例えば、アンブリッジがピンクの服を着てるのも、猫が好きなのも、普通なら「優しい人」に見えるはず。でも彼女の本性は全く逆。そのギャップが恐怖を生んでいる。
猫たちの表情をよく見れば、どこか不自然で、命を感じさせない。まるで「監視カメラ」みたいにこちらを見てることに気づいたとき、観る人はぞっとする。これは「かわいいものでも、使い方次第で人を支配できる」というローリングの警告かもしれない。
アンブリッジのピンクはなんであんなに気持ち悪いの?
ピンクの服が「やさしさ」に見えない理由
アンブリッジが着ている服といえば、もう“ピンク一色”。しかも、やわらかいサーモンピンクではなく、ややドギツイ感じの濃いピンクが多い。ニットのカーディガン、丸襟のブラウス、ボタンのデザイン、すべてが“おばさんらしいかわいさ”に全振りしてる。
でもその服は、なぜか「可愛い」とは思えない。むしろ、こっちの神経を逆なでするような違和感がある。
その理由は、「色」だけじゃなくて「キャラクターとのギャップ」があるから。ピンクという色は本来、「やさしさ」「母性」「安心感」をイメージさせる。でもアンブリッジはそれを“外見だけ”にまとわせて、内面は冷酷そのもの。このギャップが、逆に強烈な不気味さを生んでいる。
たとえるなら、「とてもやさしく微笑みながら、ナイフを突きつけてくる人」。それがアンブリッジのピンク服の正体。
なんであんなにフリフリ?服だけじゃない「甘さの演出」
小物の細かさがこわい…チョコレートとリボンの支配力
アンブリッジの見た目には、“甘すぎる”ほどの要素が詰め込まれてる。ピンクの服だけじゃなくて、襟のフリル、リボン、ブローチ、ファー、そして小さなバッグまで、全てが「乙女風」。
でもここで注目したいのは、「どこか異常なほど統一されている」こと。あそこまで徹底して“かわいらしさ”で身を包む人は、普通いない。しかも年齢的には母親世代。そこにわざとらしさを感じるのは、自然なことだと思う。
つまり、「やさしい人に見せたい」というより、「自分が“こうあるべき”と思う理想像を演じている」ように見える。彼女にとっての“かわいさ”は、人を安心させるためのものではなく、逆に“自分が安心するための鎧”になっている。
そう考えると、アンブリッジは「見た目の統一性」によって、自分の世界を守り、他人にもそれを押し付けようとする性質があるとわかる。
あの部屋はなんであんなにピンクでいっぱいなの?
部屋全体が「彼女の頭の中」そのまんま
『不死鳥の騎士団』の映画で、アンブリッジの部屋が映るシーンは圧巻。壁はピンク、カーペットもピンク、ティーカップもピンク。家具は白や淡いピンクのクラシック調で統一されていて、窓辺にはレースのカーテン。そして、壁一面に飾られた例の“猫の皿”。
ここで重要なのは、「全てが完璧にそろっていること」。普通、人の部屋には“ちょっとした生活感”があるはず。でもアンブリッジの部屋にはそれが一切ない。整いすぎていて、まるで「ショーウィンドウ」みたい。
これはつまり、「本物の暮らし」じゃなくて「自分の理想像を見せつけるための空間」なんだと思う。
さらに言えば、あの部屋の中では「他人の考え」は必要とされていない。ホグワーツでアンブリッジが「規則」「言論の管理」「罰」を次々と増やしていったのも、この「自分の世界観の押しつけ」と根っこが同じ。
部屋は、その人の頭の中を映す鏡。アンブリッジの部屋は、彼女の“完全支配された理想”が、そのまま具現化されてる場所なのだと思う。
猫皿は「見守る愛」じゃない、「監視する目」
飾りじゃなくて、心をじわじわ縛る「装置」
前回も少し触れたけど、猫皿の猫たちは、ただ可愛いだけの存在じゃない。あの皿に描かれた猫たちは、目を動かし、しっぽをふり、まるで部屋の中を監視しているような動きをする。
つまり、彼女の部屋では“彼女のルール”が絶対で、その空間に入ると常に誰かに見られている感じがする。
この感覚、じつはダンブルドアの校長室とは真逆。ダンブルドアの部屋には、フォークス(不死鳥)や魔法道具がたくさんあって、どこか“自由な知”があった。でもアンブリッジの部屋には「命令」「様式」「押しつけ」しかない。
猫皿たちは「愛される存在」ではなく、「黙って従う存在」。彼女の求める理想の人間像を“猫”に重ねて、部屋に閉じ込めているように見える。
アンブリッジの部屋と服は「支配」の形そのもの
アンブリッジは、ヴォルデモートのように力で人を支配するタイプではない。もっと静かで、じわじわと、でも確実に心を縛るタイプ。
ピンクの服、甘い小物、かわいい猫、整いすぎた部屋。すべてが彼女の“理想世界”であり、同時に「他人にもその世界に従え」と無言で圧力をかける道具になっている。
アンブリッジの真の怖さは、「恐怖」を笑顔とフリルの裏に隠しているところにある。だからこそ、彼女の登場シーンは映画の中でも特に強く記憶に残る。

