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はっくなび
モブ人生、深夜2時の呼吸|2ちゃん馴れ初め風エピソード
◆俺(主人公)
- 年齢:20代半ば
- 性格:極度のコミュ障。人と話すと頭が真っ白になる。
- 趣味:アニメ、フィギュア集め、ゲーム、2chまとめ読み
- 職歴:高校卒業後ずっと夜勤のコンビニ店員→偶然をきっかけに就職
- 外見:地味、清潔感に自信なし、自他ともに「モブ顔」認定
- その他:自己肯定感がとにかく低く、「どうせ俺なんか」が口癖。だが、根は誠実で優しい。
◆嫁子(相手女性)
- 年齢:俺と同年代か少し年上
- 性格:一見落ち着いているが実は天然。時々ズレてる。
- 背景:バツイチ。原因は元夫のモラハラ。
- 子ども:娘(4歳・元気な幼稚園児)を育てている。
- その他:家庭の事情で心の傷を抱えているが、それを悟らせない努力をしている。
◆娘ちゃん(仮名:みいちゃん)
- 年齢:4歳
- 性格:おしゃべり、すぐなつく、無邪気
- 俺のことを「おじちゃん」→やがて「おとうさん」と呼ぶようになる
◆バイト仲間・村田(ムラタ)
- 同じコンビニ夜勤仲間。唯一気を遣わず話せるオタ友
- 声がでかい、下ネタ多いが憎めない
- 最後まで俺の成長を見守る
◆社員の飯田(イイダ)
- 店長。俺の転職のきっかけを作る人物
- 無口だが、実は人を見る目がある。さりげなくアドバイスをくれる
◆不思議なおばあちゃん(名前不明)
- 常連客。いつもカフェラテだけを買って何か含みのあることを言う
- 俺の人生の転機になる“預言めいた”言葉を残して消える存在
モブ人生、深夜2時の呼吸
夜のコンビニは、俺にとって唯一の「安心できる世界」だった。
だって、誰も俺を見てないし、俺も誰も見なくていいから。
昼間のまぶしさとか、街の騒がしさとか、他人の目とか、そういうもの全部、深夜の冷蔵ケースの光のなかには存在しない。
時刻は午前2時24分。
レジ前に誰も並んでないのを確認して、俺はそっとため息をついた。
またミスった。おでんの在庫数を間違えて、帳簿と実数が合わない。きっと大根を入れ忘れたまま「ボタン」だけ押したんだ。何回やってんだ俺は。
「お疲れっすー! 今日もおでん、爆死してるぅ?」
不意にバックヤードから声がして、バイト仲間の村田が出てきた。
彼は、俺の数少ない“同族”だ。アニメの話と深夜のくだらない議論だけで、俺たちはなんとか社会にしがみついていた。
「おでん? あー…うん。なんか…また違った」
「またかよ! つーか店長の飯田、最近お前に厳しくね?」
「うん…。ミス多いから、たぶんクビ候補なんだと思う」
「いやクビはねーだろ(笑)。お前、客にすげー低姿勢だし、接客も無害だしさ」
無害って褒め言葉か? と思ったけど、俺にしては上出来な評価だ。
俺は根っからのモブ。存在感は壁紙レベル。
学校でも職場でも、「あの…えっと…」としか言えず、だいたい空気になってる。
ただその分、人に迷惑をかけることも少ない。少ないどころか、たぶん今まで誰の記憶にも残ってない。
けど、それでもいいと思ってた。
目立たなければ、失敗しない。
嫌われることも、必要とされることも、ない。
***
「いらっしゃいませー」
自動ドアの鈍い音と同時に、反射的に声を出す。
来たのは、いつものカフェラテ婆さんだった。
年のころは70代くらい、いつもネイビーのコートで、夜中に一人で来る。
「こんばんは。冷えるねえ」
「……ですね」
「変わりたいと思ったこと、ある?」
レジに100円玉を置きながら、ふとおばあちゃんが言った。
俺は「は?」と思ったけど、声が出なくて、口だけが半開きになってた。
「変わりたい、って本当に願う人の前には、ちゃんと“きっかけ”が来るもんさ」
何それ、スピリチュアル?宗教?と思いながらも、俺は「ありがとうございました」とだけ答えた。
意味のわからない話は、深夜にはちょっとだけ重たい。
***
3時。品出しが終わって、床掃除をしていたら、村田が鼻歌交じりに言った。
「そういやこの前の土曜の夜に来てた、子連れの女の人いたじゃん?」
「あー、なんか…いたかも」
「顔覚えてねーの? あれ、かわいかったぞ。地味だけど目が綺麗で、なんか“影”がある感じ?」
「……いや、俺、人の顔あんま見ない」
俺はマジで、人の顔を覚えるのが苦手だ。
とくに女の人とか、直視できないし。
目が合ったら、心の中で土下座してるレベル。
「娘もいたけど、あの子、俺に『アイス』って言ってきてさ~。“おっちゃんアイス”って。なごんだわー」
「へー…」
俺には無理だ。
子どもも女も、俺の世界には存在しない。
目が合ったら負け。話しかけられたら冷や汗。
ずっと「無」でいたい。空気でいい。そう思って生きてきたんだ。
けど――
その“子連れの女の人”が、次の日の深夜、また現れた。
娘は眠そうな目をこすりながら、「ママ~これがいい~」とアイスを選んでいた。
そのとき俺は、レジ打ちをしていて、真正面から“目”が合った。
黒くて、大きくて、でもどこか壊れそうな、そんな目。
嫁子――
のちにそう呼ぶことになる、その人との初めての接点だった。
出会いは“サンドイッチと泣き顔”
その夜も、空気は変わらず冷たかった。
外は小雨。客足は少なく、俺と村田はバックルームで黙々と発注作業をしていた。
「つーか、今日シフト交代早くね? 店長がレジに出てくるとか珍しすぎん?」
「……うん、なんか店の誰か休んだらしい」
「俺ら以外も、ちゃんと人間関係こじれてるっぽいなー。なんかホッとするわ」
それにしても、気が滅入る雨だった。
冷蔵ケースの光のなかでも、湿気はジメジメと肌にまとわりついてくる。
「ピンポーン」
自動ドアが音を立てて開いた。
「いらっしゃいませ」と機械的に口が動いたその瞬間、
俺は――妙な胸騒ぎを感じた。
入ってきたのは、前に村田が話していた子連れの女性と、その娘だった。
娘は傘を持っておらず、雨でぐっしょり。
髪の毛も濡れていて、見るからに寒そうだった。
「ママぁ、つかれたぁー、かえるぅー」
「もうちょっとだけ、頑張ろう。サンドイッチ買ったら、帰るから」
二人のやり取りは、ただの親子の買い物にしか見えなかった。
でも、その“母親”の目には、明らかな疲労がにじんでいた。
そして――
事件は、サンドイッチ売り場で起きた。
「これがいい~!プリンのやつー!」
「それは明日買おうね。今日はこっち」
「いやああああああああああ!!」
娘が突然大声を上げて、棚の前で泣き崩れた。
あっという間にその場は地雷原みたいな空気になった。
雨に濡れた床に座り込んで泣く娘、周りを見てオロオロする母親。
「ごめんなさい、ごめんなさい…すみません、ほんとすみません…」
繰り返し謝る彼女の小さな声が、俺の耳に刺さった。
俺の足が勝手に動いていた。
無意識に近づいて、小声でしゃがみこんで、
娘の横に座って、そっと言葉をかけた。
「……あのね。プリンのサンドイッチ、明日入荷するんだ。今日は……うーん、プリン、寝てるんだよ」
娘はぴたっと泣き止んで、俺の顔をじーっと見た。
「ぷりん、ねてるの……?」
「うん。冷蔵庫のなかで、ぐーぐーって。ね?」
「ふーん……。じゃあ、しかたない」
俺が何を言っていたのか、自分でもわからない。
でも、その子が泣き止んで、立ち上がって、母親の手を握ったとき、
嫁子――その女性が、小さく頭を下げて言った。
「ありがとうございます……ほんと、すみませんでした……」
「いえ、あの、そんな……」
俺は頭の中が真っ白で、ただただ手の甲に汗をかきながら、レジに戻った。
***
「今の、なんだったんだろうな」
その夜、村田は珍しく真顔だった。
「お前、やるやん。子どもあやすの、向いてんじゃん」
「……無理だった。たぶん、何も考えてなかった」
「いや、だからそれが“無償の行動”ってやつなんだよ」
村田の言葉は軽そうで、でもちょっとだけ重たかった。
俺は――ただ、自分と重ねてたんだと思う。
あの“ママ”の謝ってる姿が、自分に見えたんだ。
どうしても誰かに迷惑をかけるんじゃないかって、怖くて、
それでも「ごめんなさい」って言い続けるしかなかった、かつての俺に。
彼女もきっと、そんな日々を生きてるんだ。
***
それから数日して、また彼女と娘が来た。
今度は昼寄りの時間帯だった。
娘は俺を見ると、「ぷりんねてる~のおじちゃん!」と笑った。
嫁子は「ごめんなさい、なんか…覚えてて…」と恐縮していたけど、
俺はなぜか、そのとき、
少しだけ「俺」という存在が世界に必要とされた気がした。
その日、彼女はプリンではなく、
チーズのサンドイッチをレジに持ってきた。
「この間は、ありがとうございました。あの…名前、聞いてもいいですか?」
「……お、俺、です」
「あっ、えっと、“おれ”……さん?」
「ちがっ……いや、違わなくもないけど、あの、○○です」
名前を名乗ることが、こんなにも緊張するなんて。
でも、彼女は笑ってくれた。
「じゃあ、○○さん。今度、プリン売ってたら教えてくださいね。娘がすっかり気に入っちゃって」
「……わかりました。プリンが……起きてたら、ですね」
その会話は、どこかぎこちなくて、でもあたたかかった。
俺の世界に、少しずつ“色”が入り始めていた。
そして、俺は気づいていなかった。
このとき、俺の人生はすでに、「俺だけのもの」ではなくなり始めていたことに。
第三章:俺が“俺”を辞める日
「おじちゃん、またいた〜!」
あの子――みいちゃんは、俺を見つけると全力で走ってきて、店内の床にすべりこんで転びかけた。
それを支えたのは、俺じゃなくて、彼女――嫁子さんだった。
「走っちゃだめって言ったでしょ」
「でもおじちゃんいたからぁ!」
「あの、ごめんなさい。また、お騒がせして……」
彼女は、もう何度目かの“謝罪”をしながら、恥ずかしそうに頭を下げた。
俺はただ、「いえ、だいじょうぶです」としか返せなかった。
でも――
その日、ふと聞こえた言葉が、俺の心にずっと残っていた。
「おじちゃん、いつもここにいるの? おそと、いかないの?」
「……う、うん。夜、ここで、おしごとだから……」
「ふーん。パパもおそと、いかないひとだったよ」
そのときの彼女の顔を、俺は今でも覚えてる。
ほんの一瞬だけ、笑っていたはずの目が、少し曇った気がした。
***
その夜、村田が言った。
「お前、そろそろ“俺”やめたら?」
「……何言ってんの?」
「いやさ、お前の“俺”って、いつも自分の存在けなしてばっかじゃん。“俺なんか”“どうせ無理”って。見てると腹立つくらい卑屈」
「……うるさい」
「ま、わかるけどな。俺もそうだったし。けどさ――ガキに“おじちゃん、なんでいつもここにいるの?”って言われて何とも思わなかった?」
「……………思ったよ」
言いたくなかったけど、思った。
なんで俺は、いつも夜に、明かりのないレジの中で立ってるんだろう。
子どもに「なんで?」って聞かれるような大人で、いいのかって。
「うちの店、昼の正社員候補探してるらしいぜ。飯田が言ってた。誰か推薦してくれって」
「……俺、無理」
「だと思った。でも、飯田、たぶんお前のこと推薦しようとしてる」
まさか、あの無口な店長が――?
信じられなかったけど、村田は本気の顔だった。
***
次のシフト、俺が補充作業してたとき、
飯田がポツリと言った。
「おまえ、昼のシフトやってみるか」
「え、え? なんで……俺、夜担当で……」
「おまえは接客がうまい。いや、うまくはないが、丁寧だし、誠実なのがわかる。そういうのは、昼間に必要なんだ」
俺は戸惑った。うれしいと思った。
でも同時に、怖かった。
「俺」を変えるのが、怖かった。
でも――
それから数日後、店にふらりと現れた嫁子さんと、みいちゃんの会話を聞いて、
俺は腹をくくることにした。
「ママ、あのおじちゃん、やさしいねぇ」
「うん。ああいう人、なんか……安心するね」
安心? 俺が?
この、何も持ってなくて、自信もなくて、職歴もない、オタクで、コミュ障の俺が?
そのとき俺は、はじめて思った。
――俺、“俺”のままで、ここにいたらだめだ。
誰かのために、もっとちゃんと生きなきゃ。
***
昼のシフトは、想像以上にしんどかった。
レジの列は絶えず続くし、クレーム客も多い。
早口のサラリーマンに追い立てられて、袋詰めミスって怒鳴られたりもした。
でも、飯田は何も言わなかった。
俺の肩を叩いて、黙って作業に戻っただけ。
最初の1週間で、俺は3回泣いた。
でも、泣いたあとでも、俺はまた翌日も出勤した。
それは、たぶん――
店の窓ガラスに、小さな手の跡がついていたからだ。
「あ、おじちゃーん!! きょうもいるー!」
外から覗き込んでくる、みいちゃんの顔。
笑ってる。俺に、笑ってる。
「がんばってー! まけるなー!」
小さな手が、ガラス越しに振られていた。
***
その日の帰り、俺はふとコンビニの前に立っていた嫁子さんに声をかけられた。
「○○さん、最近、昼シフトにいるんですね」
「あ、はい……。なんか、色々、あって」
「お疲れ様です。……すごいなって、思いました。変われる人って、すごいです」
「いえ、俺……別に、変わってないです。まだ、怖いし。自信ないし」
「でも、変わろうとするのって、一番すごいですよ」
そのとき、はじめて俺は、「変わろうとしてる自分」を認めていいのかもしれない、と思った。
夜の俺は、もういなかった。
昼の世界の眩しさに目を細めながら、
俺はようやく「この世界に存在してもいい」って、自分に許す準備を始めた。
第四章:あなたは知らない、わたしのこと
昼シフトに変わって三ヶ月が経った。
慣れたとは言えないけど、少しずつ“段取り”というものを体で覚えてきた頃だった。
飯田は相変わらず無口だけど、俺のミスに前より眉をひそめなくなったし、
「ありがとな」と一言だけ言われた日は、たぶん俺、帰り道で泣いた。
何よりも――
「また来たー! おじちゃんいたー!」と走ってくる、みいちゃんの存在が、
俺に“昼間”を生きる理由をくれた。
「今日はプリン売ってる?」
「……はい。今日は、プリンも起きてます」
「やったー!」
その後ろで、嫁子さんはいつも静かに笑っていた。
決して距離を縮めようともしないし、必要以上の会話もしてこない。
でもその距離感が、逆に心地よかった。
ある日、みいちゃんが、
「きょうね、おじちゃんに、おえかきかいたの!」と言って、
ぐちゃぐちゃの線に「おとーさん」と書かれた紙を俺に渡してきた。
俺は笑ってごまかしながら、それをレジ奥のポケットに入れた。
けどその夜――
ひとりでそれを見返して、心臓がぎゅっと痛くなった。
***
変化は、ある雨の日だった。
閉店間際、土砂降りの中、レジからふと外を見たとき、
道路の隅にしゃがみこんで泣いている、見覚えのある人影が見えた。
俺は迷わず傘を持って外に飛び出した。
それが“彼女”だと気づいたとき、胸がざわついた。
「どうしたんですか……? 雨、こんなに……」
「ごめんなさい……ちょっとだけ、疲れて……」
嫁子さんは、顔を上げた。
頬に張り付いた髪と、涙と雨で濡れたまつげの奥に、
俺がこれまで見たことのない“壊れかけた表情”があった。
「だいじょうぶじゃない、ですか?」
その言葉に、彼女はゆっくり首を横に振った。
「……ほんとは、誰かに頼りたいって思ってたんです。でも、迷惑になると思って、ずっと我慢してきました。
元夫が、そういう人だったから。私が泣くと、“重たい”って言って、冷たくなったから。
だから、もう……人に甘えるのが、怖いんです」
俺は、どう返していいかわからなかった。
でも、そのときだけは、口が自然に動いた。
「……俺、迷惑って思ったこと、ないです。ていうか、そんなふうに思われたくて、今まで生きてないです」
言ったあと、自分でも驚いた。
こんなストレートな言葉、自分の口から出るなんて。
嫁子さんは、目を見開いて、ほんの少しだけ、泣き笑いみたいな顔をした。
「……ごめん、私……子持ちだから。やっぱり、そういうの、重いですよね」
「……違います」
「え?」
「俺、むしろ……そういう“あったかい場所”に、あこがれてたんだと思う。家族っていうのか、よくわからないけど」
それ以上、何も言えなかった。
俺の顔は真っ赤だったと思う。
けど、彼女は小さく笑って、「……ありがとう」って言った。
そのとき、俺の胸の奥で、ずっと閉まってあった何かが、
少しだけ、ほどけた気がした。
***
数日後、みいちゃんの通う保育園の前で偶然鉢合わせた。
俺は通勤途中で、彼女はお迎えに来ていた。
「○○さん?」
「あっ、ども、すみません、通りすがりで……」
「ふふ、偶然って、ありますね」
みいちゃんが俺を見つけて走ってきた。
「おじちゃーん! 今日ね、先生にほめられたの!」
「おお、すごいじゃん。何を?」
「“えがおがすてき”って!」
たしかにその笑顔は、“すてき”だった。
俺はそのとき、思った。
この子と、この人と、
もっとちゃんと、まっすぐ向き合いたい――と。
でも、向き合うには、“俺”のままじゃ足りない。
もっと、強くならなきゃいけない。
“守りたい”って思ったら、自分を甘やかしちゃいけない。
たぶん、これが――
“恋”っていう感情の、はじまりだったのかもしれない。
第五章:はじめての“家族ごっこ”
「○○さん、今日、お仕事のあと……ちょっとだけ、お時間ありますか?」
それは、ある日突然、嫁子さんからそう聞かれた。
俺はレジのバーコードを通す手を止めかけて、あわてて返事をした。
「え、あ、はい、あります。全然、空いてます。何時でも」
返答が早すぎて、ちょっと引かれたかもしれない。けど構ってられなかった。
だって、こんなふうに“予定を聞かれる”なんて、俺の人生でほとんどなかったから。
「じつは……今日、みいの誕生日で。ちょっとだけ、お祝いするんですけど……よかったら、一緒に来ませんか?」
俺の脳が、いったんフリーズした。
なぜ俺が誕生日に? いや、でも、それってつまり……「家に来て」ってこと?
家って、あの、女の人の家……?
俺、死ぬのか? 心臓がバクバク鳴る。
「も、もちろん……あの、ありが……とうございます……?」
会話が崩壊していた。
でも嫁子さんは、笑って「じゃあ、18時に店の前で」と言ってくれた。
***
その日の夕方、俺はいつもより30分早く店を出て、
駅前でコンビニとは別の“ケーキ”を買った。
「お誕生日用ですか?」と聞かれて「はい」と答えるのが、なんだか照れくさかった。
彼女のアパートは、少し古くて、でも清潔感のある二階建て。
階段を上っていくあいだ、俺は何度も「靴下に穴あいてないか」確認した。
「ようこそ。狭いところですけど……」
玄関を開けたとき、みいちゃんが真っ先に走ってきた。
「おじちゃん!! きょうわたしのひ!!」
「うん、知ってる。おめでとう」
「ケーキ!? ほんとにケーキ!?!?」
「い、一応、ね……ホールのやつ……買ってきた」
「やったーーーーー!!!!」
その声に、俺はなんか、目の奥が熱くなった。
家のなかは、彼女の生活感がそのまま溢れていた。
冷蔵庫に貼られたみいちゃんの絵、壁のカレンダーに書き込まれた予定、
洗濯機の横に置かれた“ちいさな長靴”。
これが、「日常」ってやつなんだと思った。
俺は、その中に“招かれた”。
***
パーティは、小さくて、でもものすごく温かかった。
ケーキを囲んで、ハッピーバースデーを歌って、
ろうそくを吹き消して、みいちゃんが俺に「いっしょにたべよー」と言ってきて。
俺は、あまりに“うれしい”って感情をどう処理していいかわからなくて、
スプーンを持つ手がちょっと震えてた。
「○○さん、ほんとに……ありがとうございます。
こんなふうに誰かと祝えるの、みいの誕生以来かもしれません」
嫁子さんが、ぽつりとそう言った。
「えっと……なんか、俺も……はじめてかもしれないです。
こうやって家族みたいに……誰かとケーキ食べるの」
「……ですね、“みたいに”」
「……」
ふたりとも、沈黙した。
でも、それは気まずさではなくて、何かを確かめるような沈黙だった。
みいちゃんが唐突に言った。
「おじちゃん、ママのことすき?」
「っっっっっ!!?」
スプーンが宙に浮きかけた。
嫁子さんも「ちょ、みい!」と顔を真っ赤にしてた。
「だってママ、いつもおじちゃんといるとたのしそうだもん」
「みい、それはね……」
「すきじゃないの?」
……俺は、何も言えなかった。
言おうとすると、たぶん涙が出ると思った。
でも、そのかわりに言った。
「……好きって、きっと、こういう気持ちなんだろうなって、思ったことはある」
嫁子さんが、ふいにこちらを見た。
その目は、びっくりしたような、でもどこか安心したような目だった。
「……じゃあ、今夜だけ“家族ごっこ”、してくれますか?」
「え……?」
「みいが寝るまででいいです。
私とみいの“お父さん”になったつもりで、隣にいてくれませんか?」
俺は、何も言えなかった。
ただ、うなずいて、座り直して、
小さなみいちゃんの肩にブランケットをかけた。
その夜、3人で観たのは、子ども向けのアニメ映画だった。
俺には少し内容が難しかった。
でも、ふたりの笑い声が、俺の鼓膜にずっと残った。
“家族ごっこ”――
そのはずだったのに。
俺の中では、もう“本物”になりかけていた。
最終章:俺を選んでくれた人へ
あれから一年が経った。
俺は今、昼間の職場で社員として働いている。
コンビニ本部の物流課。現場の大変さを知っているからこそ、
少しでも店員に負担をかけないようにって、そこだけを考えて動いている。
それでもミスはあるし、理不尽なこともある。
でも俺は、逃げなくなった。
「今日もお疲れさん、○○」
「はい、お先に失礼します」
ネクタイを緩めて、帰り道の商店街を抜ける。
俺のスマホには、毎日一通、決まった時間にLINEが来る。
――「おかえりなさい。今日、みいがパパに絵かいてたよ!」
“パパ”。
みいちゃんが、はじめて俺のことをそう呼んだ日のことは、今でも忘れない。
ある夜、3人でご飯を食べていたとき、
みいがふいに「ねぇ、パパって呼んでいい?」と聞いた。
俺は、何も言えずに黙ってしまった。
「だめ……かな?」
彼女は、不安そうに俺を見る。
「そんなこと、ない。うれしいよ」
やっと言えたとき、みいはにっこり笑って、
「パパ、だいすき」と言って抱きついてきた。
俺は――
モブで、存在価値もなくて、コミュ障で、何にもなれなかった“俺”は、
今、“家族”に必要とされていた。
***
ある日、嫁子さんに聞いたことがある。
「俺で……よかったの?」
彼女は少し驚いた顔をして、
そして、ゆっくり首を縦に振った。
「○○さんしか、いなかったよ」
「……でも俺、自信ないし、立派でもないし……」
「それでも、みいのことを“自分のことのように”思ってくれた人、
そんな人は、あなたしかいなかった」
俺は、言葉を失った。
選ばれたんだ。
無力で、何のとりえもなかった俺が。
このふたりの大切な時間の中に、居場所をもらった。
だから、これからは、
“選ばれた人間”として、ちゃんと生きようと思う。
逃げない。
卑屈にならない。
自己否定に甘えない。
その決意は、毎朝、みいの「いってらっしゃい!」に支えられてる。
この物語は――
“俺”という、どこにでもいる地味で臆病な人間が、
たったふたりに愛されただけの話。
でも、
その「たったふたり」が、
俺にとっては“すべて”だった。
そして、今もこれからも、
俺はその“すべて”を、両手で抱きしめ続けていく。