呪いの子ではペチュニアおばさん、バーノンおじさんは?

ペチュニアとバーノンって最後どうなったの?──『呪いの子』にふれて思うこと

ハリーの「育ての親」は最後どう描かれたのか?

『ハリー・ポッターと呪いの子』では、ペチュニアおばさんとバーノンおじさんについて、直接的な登場も、明確な言及もありません。これってファンとしては、ちょっとだけ引っかかりませんか?ずっとあんなに強烈な存在感があった二人なのに、ハリーが大人になっても完全に「過去」として片付けられてしまったような感じがして。

もちろん、これは作者J.K.ローリングの意図的な選択だった可能性があります。彼女は『死の秘宝』でペチュニアたちにある程度の「決着」をつけています。特に、戦争の始まりに備えてハリーを避難させる場面、ペチュニアの「言いかけたけどやめたひとこと」は、ハリーにとっても読者にとっても大きな転換点でした。

でも、『呪いの子』ではその続きはありません。ペチュニアが後悔したのか、バーノンがどう感じていたのか、ハリーが大人になってからどう付き合っていたのか、全部ふれられないまま。これは意図的な「空白」だったと思います。

『呪いの子』ではなぜふれなかったの?

この脚本形式の物語は、あくまでアルバスとスコーピウスの世代の話に集中しています。親世代としてのハリーとドラコが主軸になるからこそ、ペチュニアやバーノンは描かれなかったのかもしれません。

それでも気になるのは、ハリーの「家族観」に彼らが与えた影響。ハリーが子育てに悩む場面、愛をどう伝えるか戸惑うシーンで、「あの子たちの育てられ方」は絶対にどこかに影を落としていたはずなんです。だって、愛されなかった少年は、愛し方がわからないまま大人になってしまうこともあるでしょう?その背景として、ペチュニアとバーノンの名前が一言でも出てきたら…もっと深みがあったかもしれません。

映画版ではどこまで描かれた?

映画『死の秘宝 Part1』では、実は原作にはない「ダーズリー家が引っ越すシーン」も撮影されていたんです。ダドリーがハリーに「君が死ぬのは、嫌だ」と言うあの場面。でも、なんと本編からはカットされてしまった。これは大きな判断でした。原作読者にはとても印象的なエピソードだったのに、映画のテンポや重厚さを優先した結果だったのかもしれません。

その流れを汲んで、『呪いの子』でも「ダーズリー家」の存在はすっぽり抜けている感じがします。これは、「魔法界」と「マグル界」の線引きをより明確にする意図だったのかもしれません。つまり、マグル側の家族は、物語の核からは外す。ペチュニアとバーノンはその象徴として、もうハリーの人生に「関わらせない」選択がされたのだと考えられます。

ペチュニアとバーノンの「その後」は?

では、ふたりはどうなったのか。公式には語られていませんが、J.K.ローリングがファンへの回答で「ペチュニアは『死の秘宝』の後に亡くなった」と示唆したことがありました。ハリーがペチュニアの葬儀に出たかどうかは不明ですが、彼女に対して憎しみだけではない感情を持っていたのは確かです。

バーノンについては、もっと無言のままです。彼はきっと最後まで「魔法嫌い」のままだったのでしょう。でも、だからこそ、『呪いの子』で一言でも「昔、伯父がね…」というセリフがあれば、それだけで人間らしさが見えてくると思いませんか?


ハリーとダドリー、その後どうなった?──「いとこ」から「理解者」へ

「手紙のやり取り」って本当にあったの?

『死の秘宝』のあと、J.K.ローリングはファンの質問に答える形で「ハリーとダドリーは、クリスマスカードを送り合う程度の関係になった」と話しています。これは、二人が完全に断絶したわけではないことを示す、さりげないけれど大きな一言ですよね。

ハリーが心の中で「ダドリーの家族と付き合いたいとは思わないけれど、少しだけ理解し合えた」と思っている様子が浮かびます。ダドリーは、育てられた環境のせいで自己中心的な少年でしたが、ハリーの命を救ったあの日から、少しずつ変わったのでしょう。

もし『呪いの子』で彼が再登場していたら、アルバスやスコーピウスとハリーの関係にも何か新しいヒントを与えてくれたかもしれません。マグルであるダドリーが、魔法使いの子どもたちと向き合う姿──そんな場面を想像するだけで、胸がじんわりします。


ペチュニアは本当はリリーをどう思ってたの?

「お姉ちゃんが魔法使いだった」ことの重み

ペチュニアは、物語を通してリリーへの嫉妬、そして魔法界への嫌悪を強く見せてきました。でも、それは裏返せば「自分は選ばれなかった」「自分は愛されなかった」という思いの現れだったのではないでしょうか。

『死の秘宝』では、ハリーに対して「あなたは母親の…」と言いかけて、結局言葉をのみこむ場面があります。この一瞬は、彼女がずっと抱えていた思いを吐き出すチャンスだったのに、彼女はそれを飲み込みました。

この場面を読むたびに、「本当は謝りたかったんじゃないか」と思ってしまいます。妹を失い、甥を預かってもなお、それを「愛する」ことができなかった自分を、心の奥では責めていたのではないかと。

『呪いの子』で、ハリーが息子たちに「家族とは何か」を考えるシーンが出てきます。そこに、もしペチュニアのことが少しでも触れられていたら──もっと多くの読者が、彼女を違った視点で見ることができたのではないかと感じます。

魔法界とダーズリー家──交わらなかった二つの世界

最後まで「平行線」だったからこそ、意味がある

バーノンとペチュニアは、魔法界を心から恐れていました。単なる「嫌い」じゃなく、「理解できないもの=危険なもの」と思っていたのです。だからこそ、ハリーを閉じ込めたり、手紙を無理やり破り捨てたりと、常軌を逸した行動に走ってしまった。

『ファンタビ』シリーズを通じて明らかになる魔法界の厳格な秘密保持主義や、マグルに対する偏見の構造を見ると、ダーズリー家の恐れも全くの「無知」だけでは済まされない側面があることがわかります。

ハリーがその間で育ったこと、そしてマグルにも魔法族にも属せなかった幼少期が、彼の「中立的な立場」を育てたとも言えるでしょう。『呪いの子』では、その「中間にいる人」としてのハリーが、息子との関係でもがく姿が描かれます。

ここに、ペチュニアやバーノンの影は見えないけれど、彼らの「冷たさ」も「怖さ」も、すべてが今のハリーを形作っている。それだけは、どうしても忘れられない要素です。


空白の中にある、静かな決着

『呪いの子』でペチュニアとバーノンの名前が出なかったこと、それは「無視」ではなく、静かな終焉だったのかもしれません。彼らがいたからこそ、ハリーは「家族」について深く考える人になり、「愛されなかった経験」から「愛する努力」をする人に成長できた。

物語には描かれなかったけれど、ふたりの存在はずっとハリーの中に生きていた。ファンとしては、そこにこそ真の「その後」があると信じたいです。

 

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