デスイーターのメンバーは?その後は?
『ハリー・ポッター』シリーズを読んでいて、「デスイーター」という名前が出てくるたびに、ちょっと背中がゾクッとするような気持ちになった人も多いと思います。黒いローブに顔を隠すマスク、集団で現れては人を襲い、闇の印(ドクロと蛇)が空にあがる――まるで恐怖を象徴する存在でした。でも、彼らってただの「悪い人たち」じゃないんです。小説や映画を全部読んでいくと、その背景には、魔法界の根っこにある差別や偏見、支配欲など、すごくリアルで現実にありそうな「こわさ」が見えてきます。
デスイーターはただの悪者じゃない。考え方の「病気」みたいなもの
ヴォルデモートに従うこの集団は、最初から「狂った人たち」だったわけじゃありません。血統主義――つまり「純血の魔法使いこそが偉い」という考え方を、何も疑わずに信じてしまった人たちが多かったのです。中には家族代々そういう考えだった人もいます。ベラトリックス・レストレンジやルシウス・マルフォイ、クラッブ父などは、まさにその典型です。
作者J.K.ローリングは、これを通じて「イデオロギーのこわさ」や「人がどうやって間違った信念に染まっていくか」を描こうとしたんだと思います。現実の世界でも、人種差別や社会的な格差に関する問題がありますよね。魔法界もまた、理想郷ではなく、差別が根強く残っている場所でした。その歪みが生んだのが、デスイーターだったのかもしれません。
なぜあんなに多くの人がヴォルデモートについていったの?
恐怖と「守ってもらえる」という気持ちのすきまに
ヴォルデモートの言葉は、すごく魅力的に聞こえることがあります。「お前たちは選ばれた魔法族だ」「マグル出身者に支配される世界なんて終わらせる」――そう言われると、自分の存在価値が上がるように感じてしまう人がいるのです。
実際、小説の中で描かれるデスイーターたちは「支配されるより支配する側にいたい」という気持ちで動いている人が多いです。つまり、正義や善悪というよりも、「自分が強くなりたい」「安全な場所にいたい」という気持ちが先にあったんだと思います。そしてそれを利用したのがヴォルデモートでした。
映画版では、その恐怖や洗脳のような雰囲気がすごくうまく映像で表現されています。たとえば『謎のプリンス』でドラコ・マルフォイがしだいに苦悩していく様子。あれは「自分の意思」と「家族の期待」と「命の危険」のはざまで揺れる若者の姿でした。ドラコ自身は最後まで殺しきれなかった。それが、デスイーターになることの重さを物語っています。
「呪いの子」でのデスイーターの残り火――終わったはずの闇は消えていなかった
『ハリー・ポッターと呪いの子』では、ヴォルデモートが倒された後の世界が描かれます。けれど、そこで描かれたのは「平和になった魔法界」ではなく、「過去の傷がまだ癒えていない世界」でした。
特に大きな存在なのが、デルフィーニという少女。彼女はヴォルデモートの娘として描かれ、「父の遺志を継ぐ者」として暗躍します。つまり、デスイーターの考え方は、ヴォルデモートが消えても消えなかったんです。それどころか、「あの人は正しかった」と思う人たちもまだいた。
これは作者からの警鐘だと思います。どんなに悪い思想でも、一度広まったものは簡単には消えない。だから、後の世代がどう向き合うかがとても大事になるんだと。
ファンタビとのつながり――始まりはずっと昔から
『ファンタスティック・ビースト』シリーズでも、後のデスイーターにつながる考え方が出てきます。グリンデルバルドの主張がまさにそうで、「魔法族こそが世界を正しく導くべきだ」というものでした。
グリンデルバルドの時代からすでに、「マグルは劣っている」「魔法族の支配こそが正しい」と信じる人たちがいたことになります。つまり、デスイーターの始まりはヴォルデモートではなく、もっと前からあった魔法界の闇だったんです。
そして皮肉にも、ヴォルデモートはグリンデルバルドさえ「利用価値なし」と切り捨ててしまうような存在でした。つまり、「闇の後継者」であるはずのヴォルデモートは、先人たちの思想をさらに冷酷にしてしまった人物でもあります。
作者J.K.ローリングの伝えたかったこと――「心を疑え」と言いたかったのかも
ローリングは、デスイーターをただの「悪の軍団」として描いていません。彼らの中には家族思いの人もいたし、葛藤している人もいたし、怖くて逃げられなかった人もいました。それがすごくリアルです。
たとえば、ルシウス・マルフォイは自分の息子を守るために、次第にヴォルデモートに従えなくなっていきます。ナルシッサも、母としての愛を最後まで失わず、結果としてハリーを助けることになります。
つまり、どんなに悪に見える人でも、心のどこかには人間らしい部分がある。逆に、正義の側にいても、思い込みや差別心に染まることもある。それを、ローリングは伝えたかったのではないでしょうか。
ベラトリックス・レストレンジはなぜあそこまでヴォルデモートにすがったの?
ベラトリックス・レストレンジは、デスイーターの中でも特別な存在です。ただ命令に従っていただけではなく、自分の意思でヴォルデモートに仕え、心の底から彼を信じ、愛していたように見えました。彼女の言動や表情からは、ただの「悪役」ではなく、「信者」や「崇拝者」としての狂気すら感じます。
最初から狂っていた?それとも「信じすぎた」だけ?
ベラトリックスはブラック家の出身で、いわゆる「純血主義」のど真ん中の家系に生まれました。妹のナルシッサやアンドロメダとは違い、彼女は家の教えをそのまま信じ、さらに強く染まってしまったんだと思います。
結婚して「レストレンジ」の姓になっても、夫には全く興味がなかった様子。彼女が本当に求めていたのは、ヴォルデモートという「理想の魔法使い」に認められること。彼女にとってヴォルデモートは、神のような存在でした。
それがよくわかるのが、アズカバンに送られた後も、彼に対する忠誠をまったく失わなかったこと。むしろ、「主のために牢屋に入ったこと」を誇りにすら思っていました。『不死鳥の騎士団』の中でのあの狂った笑い声が、すべてを物語っています。
ハリーとの因縁――シリウスを殺した場面は忘れられない
『不死鳥の騎士団』の終盤、ベラトリックスはハリーの大切な存在であるシリウス・ブラックを殺してしまいます。しかもそのあとに、「お前のゴッドファーザーは死んだのよ、ベイビィ!」と挑発するような言葉を吐くんです。
この場面は、読んでいて本当に胸が苦しくなるシーンでした。彼女にとって命を奪うことは、ただの「奉仕」なんです。殺すことすら、主のためなら当たり前。だからこそ、感情の線が断ち切れてしまっているようにも見える。でも、それは「心がない」んじゃなくて、「心の向けどころが完全に一人に集中しすぎた」せいなんだと思います。
ヴォルデモートとの関係――恋?それとも盲信?
映画ではあまり描かれませんでしたが、舞台『呪いの子』では、なんとベラトリックスはヴォルデモートの子どもを産んだとされます(デルフィーニ)。これは多くのファンにとって衝撃でしたが、同時に「なるほど」と納得する声も多かったです。
彼女は、ただの部下以上の思いをヴォルデモートに抱いていた。それは恋愛とはちょっと違う「信仰」に近いもので、自分の全てを彼に捧げても平気だった。だからこそ、彼女の忠誠心は誰よりも強く、誰よりも危険だったんです。
この「愛」と「盲信」の境目があいまいになっているところが、ベラトリックスの一番こわい部分だと思います。
最後まで主に忠実――でも母になっていた?
ベラトリックスは最終決戦のホグワーツの戦いでも、ヴォルデモートのすぐそばにいました。彼女が最後に戦ったのは、なんとモリー・ウィーズリー。あの有名な「Not my daughter, you bitch!(うちの娘に手を出すんじゃないよ!)」のセリフで、モリーに倒されます。
ここでとても対照的なのが、母親としてのモリーと、ベラトリックスの「母であることを捨てて主に仕えた姿」です。デルフィーニの存在からすれば、ベラトリックスは母だったはず。でも、彼女は母親としてではなく、デスイーターとして死にました。
これをどう感じるかは人それぞれだと思います。でも、私はベラトリックスが「母になる」という選択をしても、結局ヴォルデモートに心を捧げすぎてしまった結果、親としての愛情まで消してしまったように見えました。
彼女の怖さは「ただの悪」じゃなくて、「信じすぎた悲劇」かもしれない
ベラトリックスは、シリーズを通してもっとも「感情で動くデスイーター」でした。でもそれは、誰かを愛したり守ったりする感情ではなく、「主にすがる感情」でした。
その姿は、冷たくて、でもどこかで「もし別の道を歩けていたら…」と思わずにはいられないキャラクターでもあります。純血の名家に生まれ、愛されない結婚をし、信じるものにすがりつきすぎて、自分を完全に失ってしまった。
それが、ベラトリックス・レストレンジという存在なのかもしれません。
闇の中でも心は揺れる――悪になりきれなかった人たち
デスイーターというと、冷酷で迷いのない存在のように思われがちです。でも実際には、その中にも「葛藤する人」「仕方なく従った人」「家族を守るために選んだ人」がいました。ただの悪人じゃなくて、「自分の選択に苦しんでいた人間たち」なんです。
ルシウス・マルフォイ――威厳の裏で、父として崩れていった男
ルシウス・マルフォイは、最初はヴォルデモートの側近としてふるまい、魔法省にも強い影響力を持っていました。でも、ヴォルデモートが復活してからの彼の姿は、どんどん変わっていきます。特に『謎のプリンス』以降、明らかに自信を失い、おびえ、家族の安全を第一に考えるようになります。
彼はドラコを守るために、必死でした。それまでプライドの塊だったルシウスが、息子のためにプライドを捨てていく姿は、本当に切なく映りました。そして、ヴォルデモートに忠実でありながらも、「これ以上はもう無理だ」と限界を感じていた。最終決戦では、戦いの場から逃げ出し、家族のもとへ走るのです。
ナルシッサ・マルフォイ――母として、嘘をついた勇気
ナルシッサはデスイーターではありませんが、ヴォルデモート側に立っていた人間としては、重要な存在です。『死の秘宝』で、彼女は決定的な嘘をつきます。ハリーが生きているのに、「死んでいる」と告げたのです。理由はただひとつ――息子ドラコの無事を確かめるため。
この一瞬の判断で、彼女はヴォルデモートを裏切りました。でもそれは、「愛する我が子の命のため」でした。この行動がなければ、ハリーは再び立ち上がるチャンスを得られなかった。つまり、彼女の「母の愛」が物語を変えたんです。
セブルス・スネイプ――裏切り者か、英雄か?
スネイプは、デスイーターとしてヴォルデモートに仕えました。でも、リリー・ポッターの死をきっかけに、彼の心は完全に変わっていきます。リリーへの想いは、ただの恋じゃありませんでした。彼はその愛のために、命がけでダンブルドアと協力し続けました。
表向きはヴォルデモートの忠実な部下。でも内側では、常にリリーのため、そしてハリーのために戦っていた。その二重生活は、本当に苦しかったはずです。スネイプは「後悔」と「愛」の中で揺れ続けた、最も複雑で、最も孤独なキャラクターでした。
ドラコ・マルフォイ――本当は望んでなかった、殺しの任務
ドラコもまた、「家の誇り」と「自分の意思」の間で引き裂かれた存在です。『謎のプリンス』で、彼はダンブルドア暗殺の命令を受けます。でも最後まで、殺すことはできませんでした。
彼の震える手、涙をこらえる目、そしてダンブルドアに「君は本当は殺したくないのだろう」と言われて動けなくなる姿――それは、ただの悪役のものじゃありませんでした。心が揺れていることが、痛いほど伝わってきました。
最終決戦でも、彼は決して戦いたくなかった。ただ家族を守りたかっただけ。でもその「普通の気持ち」が、デスイーターという役割とぶつかってしまったんです。
デスイーター=悪者 じゃない。人としての迷いがそこにあった
ここで紹介した人たちは、みんな「闇の側」にいたはずなのに、最後には迷い、後悔し、愛を選びました。中には、それを行動に出せなかった人もいるけど、それでも「本当はどうしたかったか」が伝わってきます。
『ハリー・ポッター』は、ただの魔法の物語じゃありません。人が間違いをおかした時、どう向き合っていくかを描いた物語でもあります。間違えたからといって、それで終わりじゃない。心が揺れた時、そこで何を選ぶかが、すごく大切なんだと教えてくれています。
デスイーターになった“あの子たち”――ただの悪者だったの?
ホグワーツには、スリザリン生を中心に、後にデスイーターとなる生徒たちが何人もいました。でも、彼らが最初から冷酷だったわけではありません。寮が違うだけで、出発点は他の生徒たちと同じでした。
ただ、家の考え、周囲の空気、そして「自分の立場を守るため」に選んだ道。それが、デスイーターになるという選択だったのです。
ドラコ・マルフォイ――「やらなきゃ殺される」重すぎる選択
ドラコは、最も知られた「学生デスイーター」のひとりです。彼はホグワーツ6年生の時、ヴォルデモートからダンブルドア殺害の命令を受けました。でもその裏には、「失敗すれば自分も家族も殺される」という恐怖がありました。
彼の変化はとてもはっきりしています。最初はいつも通りに強がっていたのに、しだいに顔色が悪くなり、誰とも話さず、トイレで泣くことすらありました。
「本当はこんなことしたくない」
「でもやらなきゃ、僕たち家族が…」
そんな叫びが、全身から伝わってきました。
最後にはダンブルドアの命を奪えなかったドラコ。その決断は、彼が「完全には闇に染まりきれなかった」ことの証でもありました。
グレゴリー・ゴイルとヴィンセント・クラッブ――従うことしかできなかった仲間
ドラコの友人としてよく出てきたゴイルとクラッブも、最終的にデスイーターの側に立ちました。でも彼らの行動は、「信念から」ではなく、「ついていくしかない」という雰囲気に見えます。
クラッブは『死の秘宝』の最後の戦いで、禁じられた「悪霊の火(フィエンドファイア)」を使い、ホグワーツの必要の部屋を焼き尽くしてしまいました。
そして、自らが放った火に飲まれて命を落とします。
この場面は、本当に悲しかったです。
「悪に染まった」のではなく、「正しい知識も判断も持てなかった若者」が、間違った魔法を使ってしまっただけ。でも、その代償は命だった。
彼らは「従っただけ」かもしれない。でも、「自分で考える力がなかった若さ」が、逆に一番の悲劇だったのかもしれません。
テオドール・ノットやパンジー・パーキンソン――揺れ続けたスリザリン生たち
あまり目立ちはしませんでしたが、スリザリンの他の生徒たちもまた、「どちらにつくべきか」で揺れていました。
パンジー・パーキンソンは、『死の秘宝』でハリーを差し出すよう叫び、明確にヴォルデモート側に立ちます。でもそれも、「恐怖」による反応だったのではないでしょうか。
ヴォルデモートに逆らえば死ぬ。
だから、「差し出せば自分は助かる」と思った。
責められるべき行動ではあるけど、それだけじゃ終わらせたくない気持ちにもなります。
彼女は強気で目立つタイプだったけど、心の中ではきっと、「このままじゃ自分も消される」と怯えていたのかもしれません。
「スリザリン=悪」じゃない。みんな選ばされただけだった
ハリーの時代のホグワーツでは、「スリザリンは悪」という空気があったけど、それはとても単純すぎる見方です。
むしろ、「どうしてそんな風になってしまったか」を見ていくと、彼らの中には普通の感情も、悩みも、思いやりもちゃんとあったんです。
ダンブルドアが最後に言ったように、「人を選ぶのは、その人の“選択”である」と。
最初にどこに属していたかではなく、最終的にどう行動したか――それが大事だったんです。
若さは「無敵」じゃない。だからこそ、間違えることもある
ドラコたちはまだ17歳。
クラッブもゴイルもパンジーも、戦いの中に巻き込まれた子どもたちでした。大人たちの都合、家族の立場、社会の空気――それに押しつぶされて、自分ではどうしようもなかった部分も多いと思います。
でも、それでも最後に「立ち止まる勇気」を持った人もいた。迷ったこと、怖がったこと、それは「弱さ」じゃなくて「人間らしさ」なんです。
最終決戦の夜――正義と闇のどちらに立つか、すべてが問われた
ホグワーツ最終決戦――それは、ただの戦争ではありませんでした。
学校という「育つ場所」で、先生と生徒、大人と子ども、かつての友と敵が入り乱れ、命を懸けて戦う夜。
その中で、闇にいた人たちが見せた「最後の選択」が、物語の重みを深くしていったのです。
ルシウス・マルフォイ――「息子を返してくれ」それだけだった
ヴォルデモートの側近として恐れられたルシウスは、この戦いの中でまったく戦おうとしませんでした。
彼が求めたのは、「ドラコを返してくれ」という一点だけ。
息子の無事を知るためなら、ヴォルデモートの命令にも従えなかった。
家の名誉も、闇の主の信頼も、もうどうでもよかった。
それほどに、彼は「父親」として揺れていた。
あれほど誇り高かった男が、戦いの場から身を引き、ただ家族を探して彷徨う姿は、すごく痛々しく、そして人間らしく映りました。
ナルシッサ・マルフォイ――嘘が命をつなぐこともある
ハリーがヴォルデモートに「殺された」とされる場面で、ナルシッサは彼に近づき、心の中でたったひとつの問いを投げかけます。
「ドラコは生きている?」
ハリーのうなずき――それを確認した瞬間、彼女は「ハリー・ポッターは死んだ」と嘘をつきました。
これは裏切り。でも、母としての強さでした。
息子の命のために、闇の主をも欺いたナルシッサ。
この行動が、ハリーに「もう一度立ち上がる時間」を与えたのです。
セブルス・スネイプ――味方からも敵からも信じられなかった男の真実
この戦いの少し前、スネイプはヴォルデモートに殺されます。
理由は「杖の力を引き継ぐため」という残酷なもの。
でも、その死の直前、ハリーに「君の目を見てくれ」と言い残し、記憶を託しました。
そこにあったのは、「リリーへの愛」と「ハリーを守るためのすべての真実」。
彼は最後まで、命を懸けて正しい側に立っていたのです。
戦うことはできなかった。
でも「守るために死んだ」その姿は、誰よりも勇敢だったと思います。
ドラコ・マルフォイ――逃げたのか?それとも、戦いたくなかっただけか
ドラコはホグワーツに戻ってきます。でも戦いには加わりません。
ハリーが必要の部屋でホークラックスを探していたとき、彼はクラッブとゴイルを連れて現れます。
そして、火の魔法で部屋を焼いてしまい、クラッブは命を落とします。
その後、ドラコは闇側の列に立たされますが、決して「戦おう」とはしていません。
ただ、家族のそばにいたい。それだけ。
彼にとって、この戦いは「どちらにも完全にはなれない」場所だったのです。
悪にも、正義にもなれない――でも、家族だけは守りたかった。
それが、彼の中で一番大きな選択でした。
ホグワーツを離れていったスリザリン生たち――裏切り?それとも生きるための選択?
戦いが始まる直前、マクゴナガルは全校生徒に言います。
「戦う意思のない者は、ここを離れていい」
このとき、スリザリン寮の多くの生徒が外に出ていきました。
一部の教師は、「彼らを外へ出すことで、ヴォルデモート軍に情報が漏れるのでは」と危惧していました。
でも、全員が裏切ったわけではありません。
逃げたのは「戦いたくなかった」「自分を守りたかった」人たち。
一方で、残って戦ったスリザリン生も、少なからず存在していたのです。
パンジー・パーキンソンのようにハリーを差し出そうとした生徒もいれば、沈黙の中で心を決め、最後まで見届けた生徒もいた。
闇にいた者たちは「消えた」のではない。「変わった」のだと思う
この戦いで、闇の側にいた人たちは、多くが敗れ、消えていきました。
でも、それは「死んで終わった」だけではないんです。
彼らの中には、「命を守るための裏切り」
「家族のための逃走」
「愛のための嘘」
「正義のための死」
がありました。
それはきっと、「悪をやっつけて終わり!」という物語より、ずっとリアルで重く、心に残るものでした。

