死喰い人が煙みたいに現れ黒い煙になって飛んでくの?
まず、原作小説では、死喰い人が黒い煙になるなんて一言も書かれていません。出てくるのは「姿くらまし」っていう、魔法使いなら誰でも使える移動魔法。でも、小説ではこの魔法って普通に“ポン”と音を立てて消えるだけ。煙もなく、光もなく、地味なんです。ヴォルデモートでさえ、移動の時に煙とか残さないんです。
なのに、映画ではどうでしょう。『炎のゴブレット』以降、死喰い人たちは戦いの場に「シュッ!」と現れ、真っ黒い煙の渦を巻いて、空中をぐるぐると飛び回り、そしてまた地面に降り立つ。なんとも視覚的に怖くて強そうな演出。でもこれ、原作には存在しない“映画だけの魔法”なんです。
この違いって、ただの見た目の違いじゃありません。視覚的な演出が加わったことで、「死喰い人=黒い煙=恐怖の象徴」というイメージが、ファンの心にガツンと刻み込まれるようになったんですよね。つまりこの煙、魔法的というより、心理的な演出のための“武器”だったのかもしれません。
なんで黒くて煙なの?:映画の演出がもつ意味
じゃあ、なんで煙?なんで黒?ここでちょっと深く考えてみたんですが、「黒い煙」っていうのは、まさに“死”とか“不安定”とか“恐怖”の象徴なんですよね。黒はもちろん不吉な色だし、煙って形がなくて、つかみどころがないもの。つまり、死喰い人が“人間としての輪郭を失い、魂だけになったような存在”に見えるための演出なんです。
この視点で見ると、映画の中での死喰い人は“生きてるけど、生きていない存在”。肉体はあるけど、心はヴォルデモートに差し出してしまっている。そんな「魂を失った黒い煙」のイメージこそが、彼らの正体を一番よく表しているように思えてきます。
あと、黒い煙になって飛ぶって、動きがめちゃくちゃ速くて、しかもどこから現れるか分からない。それって、敵としては最悪なんです。いつ来るか分からないし、どうやって攻撃してくるかも読めない。つまり、「見えない恐怖」ってやつを演出するための、完璧な方法だったんじゃないかと。
『呪いの子』やファンタビでは出てこないの?:シリーズ全体での扱い
じゃあ、『呪いの子』や『ファンタスティック・ビースト』シリーズでは、この黒い煙の移動って出てくるの?と気になりますよね。
実は『呪いの子』では、舞台の演出上、「姿くらまし」は光や音の効果で表現されてるけど、「黒い煙」までは明言されていません。なので、映画のような“死喰い人=黒い煙”のイメージは、あくまで映画独自の演出という位置づけになります。
『ファンタビ』ではどうかというと、黒い煙での移動は“グリンデルバルドの部下たち”には登場していません。彼らも姿くらましを使っているだけ。これは時代背景のせいもあるかもしれませんが、“黒い煙”の魔法は、実は死喰い人にだけ使われている、すごく特別な視覚表現だということが分かってきます。
つまりこの黒い煙は、「ヴォルデモートとその一派だけに使われる演出魔法」。あの見た目の不気味さ、動きの不安定さ、どこか人間味のなさ…。それがすべて「死喰い人=ただの悪役ではない何か」に見せるための映画ならではの“語られない魔法”なんです。
作者はどう思ってたの?:J.K.ローリングの意図を考えてみる
ここまでくると、「じゃあ原作者のJ.K.ローリングはどう考えてたの?」って気になりますよね。
実は、彼女自身が「死喰い人の移動は姿くらましであって、煙にはならない」と明言した記録はありません。だけど、彼女が原作で描いている死喰い人たちは、わりと“地味”です。音もなく現れ、呪文で殺し、消えていく。恐怖を煽るのはその「静かさ」や「冷たさ」でした。
でも映画では、それが“派手”に変わった。これはもしかすると、ローリングが映像化にあたって“視覚で語る”ために、ある程度許容した変更なのかもしれません。そして、あの黒い煙の演出は、ただのカッコよさじゃなくて、「死喰い人がいかに“人間ではない存在”になってしまったか」を見た目で伝えるための、強いメッセージだったのかも。
つまり、「黒い煙になって飛ぶ」というのは、“恐怖そのものになる”という意味。魔法の一部というより、“象徴”なんです。黒くて、速くて、どこからともなく現れて、消えていく。それは、ヴォルデモートに心を売った代償として“人間性を捨てた姿”だったのかもしれません。
じゃああれってどんな魔法?煙の正体を考えてみる
ここからは、あの“黒い煙”がもしも「本当に魔法として存在していた」としたら、どんな魔法なのか?という想像を、あくまでハリーポッター世界のルールや設定に沿って、できるだけ現実的に深く掘ってみます。
普通の「姿くらまし」とどう違うの?
ハリーポッター世界では、瞬間移動のような魔法を「姿くらまし(Apparition)」って呼びますよね。これは魔法省が免許制にしてるくらい、ちゃんとした技術。だけど、その「姿くらまし」って本来は無色透明な移動で、映画で見たような煙や光なんて出ません。
じゃあ、死喰い人たちのあの黒煙は、「姿くらまし」とはまったく別の魔法?それとも“姿くらましの強化版”みたいなものでしょうか。
ひとつ考えられるのは、ヴォルデモートの“魔法への独自解釈”。彼はホグワーツの誰よりも強力な魔法を使える人物で、禁じられた知識を集めまくった魔法オタク。その彼が「より恐怖を与える移動手段」を開発していたとしても、おかしくありません。
たとえば、「姿くらまし」に何らかの“視覚効果”を加える魔法を上乗せしている可能性。これはまるで、「ディスプレイエフェクトを使ったステルス戦闘」みたいなもので、目的は移動というより“恐怖と威圧の演出”だったのかも。
黒煙は「死の気配」?魂をけがした魔法?
さらに深く考えてみると、あの煙は「魔力の汚染」や「魂のゆがみ」まで示しているのでは?という仮説も立てられます。
死喰い人って、全員がアズカバン送りになるような残虐さや冷酷さを持っていますよね。そして中には、分霊箱の使用や拷問の常習犯など、“魂を痛めつけてしまった”人物も多い。
J.K.ローリングはかつて、**「魂の一部を傷つけることが、魔法の性質を歪めることもある」**と語っていました(例:分霊箱の作成時)。つまり魔法というものは、その人の“内面”にも左右される可能性があるんです。
ならば、死喰い人たちが使う黒煙の魔法は、「汚れた魂の可視化」だったのではないでしょうか。普通の魔法使いが姿くらましを使っても“無色透明”で済むところ、彼らだけが「黒くて濃い煙」をまとってしまうのは、その人間性が濁っているからかもしれません。
それって、ただの視覚効果ではなく、「魔法そのものが、人間性の影響を受けて形を変えた」っていう、とても深い表現だと思います。
あの魔法は誰でも使えるの?
もしこの黒煙が「特別な魔法」だとしたら、それは“死喰い人だから使える”ってことになるんでしょうか?
結論から言うと、たぶん“誰にでもは使えない”です。
理由はふたつ。ひとつは技術的な難しさ。映画を見る限り、黒煙での移動って空を飛んだり、急旋回したり、敵を煙で巻き込んだりと、ただの「移動」ではない複雑な動きです。これは単なる姿くらましでは到底まねできない、熟練の技術や訓練が必要そう。
もうひとつは、「忠誠の誓い」や「呪われた契約」が関係している可能性。たとえば『秘密の部屋』で使われる「血の契約」みたいに、ヴォルデモートの魔力に従った者だけが、この煙の魔法を使えるようになっているとか。つまり、あの魔法は“能力”ではなく“服従の証”でもあるのかも。
黒煙になったあと、どうやって戻ってるの?
これはちょっと気味の悪い話ですが、黒煙って「形がない」ものですよね。でも死喰い人たちは、それを解除してまた人間の形に戻ってる。
この一連の流れが、「物質⇔無形エネルギー」の切り替えだとしたら、それってまるで「魂だけになって移動し、肉体に戻る」っていう動きに近いんです。つまり、黒煙の状態は「一時的に魂だけになっている」可能性すらあるんじゃないでしょうか。
もしそうだとしたら、それってものすごく危険な魔法。普通の魔法使いなら絶対やらないことを、死喰い人たちはやってしまっている。だからこそ、“ただの魔法”ではない、禁断の術に近い魔法だった可能性もあります。

