魔法・ホグワーツって普通の算数とか教えてないの?
なんでホグワーツで算数の授業ないの?
ホグワーツ魔法魔術学校には「算数」も「国語」も「理科」もない。ハリーたちは11歳で入学したその日から、いきなり「魔法薬学」とか「変身術」とか、すごく専門的で魔法の世界に特化した授業しか受けていません。私たちの世界だったら、足し算や引き算、方程式や作文、理科実験をやっている年齢です。
でも、ホグワーツでは「チャーミングチャーム」とか「杖の振り方の違い」なんかをやっています。これは明らかに、魔法界の教育は“魔法使いになるため”だけに絞っていて、いわゆる普通の学力、たとえば数学や英語の基礎なんてものは、教えていないということになります。
これはフィクションだから、という単純な話だけじゃない気がします。作者J・K・ローリングの中に「魔法界=独立した文化」という考えがしっかりあったからこそ、そういう“普通の学問”をあえて描かなかったんだと思うのです。
小説をぜんぶ読んでも「普通の勉強」は出てこない
小説版『ハリー・ポッター』を何度読み返しても、ハリーたちが掛け算をしている場面なんてありません。ロンが暗算してることもなければ、ハーマイオニーが英作文してる姿も描かれていない。出てくるのは全部、魔法に関わることだけ。
「魔法薬を○gずつ量る」とか「天文学で星の位置を読み取る」とか、「算数っぽいこと」や「数字を使ってる」場面が完全にゼロというわけではないけど、そこに**“数学の知識”が前提としてあるわけではない**のです。分数の計算や面積の公式なんかも、描写されたことは一度もありません。
このことから見えてくるのは、魔法界には“普通教育”という概念がそもそもない可能性です。あるとすれば、魔法使いの家庭(ウィーズリー家とか)で家庭教育としてやっている程度で、学校として体系立てて教えてるわけじゃないということになります。
映画でも「普通の授業」は一切出ない
映画シリーズでもこの点は徹底していて、ホグワーツのシーンはすべて「魔法の授業」だけです。スネイプ先生の魔法薬、マクゴナガル先生の変身術、フリットウィック先生の呪文学、スプラウト先生の薬草学……どれも魔法を使うための知識と技術を学ぶ内容です。
算数の授業も、黒板に数式が書いてあるシーンすらも、ひとつもありません。つまり映画でも“魔法使いになるには数学なんていらない”という前提が貫かれているのです。
ちなみに映画の中で生徒たちが「算数の勉強が嫌だ」みたいなことを言う場面もありません。それってつまり、「やってないから言う必要もない」ってことなんですよね。
「呪いの子」でも普通の学問は無視されている
舞台劇『ハリー・ポッターと呪いの子』でも、アルバスやスコーピウスたちが「普通の授業」を受けてる描写はありません。ホグワーツ特急に乗って、組分けされて、また魔法の授業が始まる。大人になったハリーたちが「昔は算数が苦手だった」なんて話も出てきません。
むしろ、魔法界はどんどん魔法の世界のルールに集中していって、普通の人間界の常識からは離れていくような描き方がされています。
これは裏返すと、作者ローリングが一貫して「魔法界=閉じた文化圏」として描いているからだと思います。つまり魔法界では「マグルの教育なんて関係ない。魔法さえ使えればいい」という考え方が根っこにある。
「ファンタビ」ではわずかに“常識”の匂いがする
『ファンタスティック・ビースト』シリーズになると、ちょっとだけ空気が変わります。ニュート・スキャマンダーのような学者タイプの魔法使いが登場して、魔法動物の研究や分類がかなり科学っぽい。ノートもグラフも出てくるし、調査データをまとめる場面もある。
ただしそれでも、「数学として学んだ結果」という描き方にはなっていません。あくまで“ニュート個人がすごい”のであって、魔法界全体の教育制度が進歩してるわけではないのです。
このことから考えると、やっぱり魔法界では「知識」より「才能」や「実践」が大事にされている世界観だと分かります。
じゃあ、なんで算数を教えないの?
作者の考えを想像してみる
ローリングさんは「マグルの世界=現実」と「魔法界=幻想」をきっぱり分けたかったのだと思います。もしホグワーツで算数や理科を教えてしまったら、それは“マグルの世界の一部”になってしまう。魔法界の特別感や独立性が薄れてしまうんです。
それに、“魔法使いがすごい”という描き方をするときに、「でも九九も知らないよ」って言われたらちょっと冷めてしまう(笑)。あえてその部分は描かず、「魔法だけできれば大丈夫!」というファンタジーを大切にしていたのだと思います。
また、「魔法界には数学の概念が存在しない」という描き方をすると、読者の現実からどんどん距離が離れて、より深いファンタジーの世界に入り込めるという効果もあるんです。

