魔法省はなぜハリーポッターとダンブルドアを敵視していた?嫌い?

魔法省って、なんでハリーとダンブルドアのこと嫌ってたの?

権力を守りたい気持ちが強すぎた

魔法省がハリーやダンブルドアを敵視した一番の理由、それは「自分たちの立場を守りたい」という気持ちがとても強かったからです。特に『炎のゴブレット』以降、ハリーが「ヴォルデモートが復活した」と言い出した時、魔法省のトップだったファッジはすごく焦ったんです。もしそれが本当だったら、過去の戦争がまた始まる。省内の不備も責められるし、自分の無能さがバレてしまう。だから、「そんな事実はなかったことにしてしまいたい」ってなったんですよね。

だからこそ、彼らは真実を伝えようとしたハリーとダンブルドアを、わざと「嘘つき」や「危険人物」に仕立てあげたんです。『不死鳥の騎士団』では、ダンブルドアが魔法省の言うことを聞かずに勝手に動いたってことで、まるで裏切り者のように扱われてしまいました。本当に権力を持ってる側って、正しさよりも「支配すること」の方を大事にしてしまうんですよね。

ダンブルドアが「支配されるのが嫌い」だったから余計に敵視された

ダンブルドアって、本当はすごく慎重で、誰よりも思慮深い人なんですけど、一方で「誰かにコントロールされるのが大嫌い」な性格でもあります。だから、魔法省からの指示に従うより、自分の信じる正義に従うことを選びました。でも、これが魔法省には都合が悪かった。特に「ダンブルドア軍団」なんていう秘密組織まで作って、若者たちに魔法省とは違う価値観を教えていたので、もう完全に「厄介な存在」だったんです。

そしてそのダンブルドアに信頼されていたのが、まだ学生のハリー。魔法省からすれば「この2人を潰してしまわないと、自分たちの支配が終わってしまう」という恐怖があったんだと思います。

ハリーへの嫉妬もあった

実は、魔法省の中の人たちには、ハリーへの「嫉妬」もかなりありました。あんなに若いのに、名前が知られていて、しかも「生き残った男の子」なんて言われてる。それが面白くない人たちもいたんです。特にリタ・スキーターみたいな記者が面白おかしく記事を書くせいで、余計に反感を持つ人が増えました。

さらに、『不死鳥の騎士団』の中で、ハリーが予言の部屋のことを知っていたり、ダンブルドアのもとで特別な行動をしていたりすることが分かってくると、「この子は何者?」っていう不安が省内に広がりました。若者なのに特別扱いされてるという不公平感が、不信感に変わったんですね。

映画と小説での違いもあるけど、どちらも「恐怖」と「支配」がキーワード

小説ではより詳細に、魔法省の動きや思惑が描かれています。たとえば、アンブリッジがホグワーツに送り込まれて、校則をどんどん厳しくする場面。あれは「教育」という名のもとで、若者の思想を魔法省の色に染めようとする動きなんですよね。映画ではそこまで深掘りされていませんが、雰囲気としてはしっかり伝わってきます。

でも、どちらにも共通するのは「恐怖」がきっかけだったということ。ヴォルデモートの復活が怖い。ダンブルドアがそれを知っているのも怖い。そして、ハリーがその証人であることが一番怖い。だからこそ、無視したい。だから潰そうとした。結局、真実が怖かったんです。

『呪いの子』でもその余韻は残ってる

『呪いの子』の中でも、魔法省の動きって完全にスッキリしたわけではありません。大臣がハーマイオニーになってることで改革は進んだけれど、組織そのものに残る「体制を守るための動き」はまだ生きているように描かれています。これは現実世界の政治にも似ていて、どれだけトップが変わっても、組織が簡単には変わらないってことなのかもしれません。

しかも『呪いの子』では、時間逆転の魔法をめぐる問題がまた起こっていて、「真実を操作したがる力」が消えていないことがはっきりわかります。つまり、魔法省が持つ「不都合な真実をなかったことにしたい」という本質は、まだ根強く残っているんですね。


アンブリッジの怖さって何だったの?

魔法じゃないのにゾッとする、その理由

アンブリッジ先生――フルネームはドローレス・ジェーン・アンブリッジ。魔法使いでありながら、呪文よりもずっと怖い「言葉」や「態度」で人を追い込んでいく、あの人。ヴォルデモートのように闇の魔法を使うわけじゃない。スネイプのように不気味な雰囲気があるわけでもない。でも、読んでいて、観ていて、ここまで「怖い」「息が詰まる」と思わせたキャラクターって他にいないんじゃないでしょうか。

じゃあ、なぜ彼女がそこまで怖いのか――その理由をしっかり見ていきます。


ふつうの顔をして「自由」を奪う人

アンブリッジの一番怖いところって、「一見ふつう」の顔をしてやってくるところなんです。見た目はピンクの服で、小さな声で笑って、にこにこしてる。猫の飾りが好きで、きれいな紅茶カップでお茶を飲んでる。ぱっと見、「やさしそうなおばさん」に見えます。

でも、その裏では「言ってはいけないことを言った人には罰を与える」「自分の意見を持つ人は危険人物」「真実を話すことは禁止」――こんなルールをどんどん作っていくんです。これは現実の社会でもよくある「支配のやり方」。怖いのは、それが魔法じゃなくてもできちゃうってことなんですよね。


じわじわと、笑顔で心を壊す支配

『不死鳥の騎士団』で、アンブリッジは「高等尋問官」としてホグワーツに来ました。そして、生徒や先生たちを監視し、「問題がある」と思ったらどんどん解任したり、罰を与えたりしていきます。

しかもその罰が恐ろしい。たとえば、ハリーが「ヴォルデモートは戻ってきた」と話すと、「それは嘘」と決めつけて、ペンで自分の手に文字を刻ませるんです。「私は嘘をつきました」と。魔法で苦しめるんじゃなくて、「心と誇り」を踏みにじっていくやり方。これは本当に精神的に追い詰められるし、ただの罰以上の残酷さを感じます。

この「じわじわと壊される感じ」が、ヴォルデモートよりも怖いと感じる読者が多い理由なんです。爆発的な攻撃じゃない、毎日少しずつ自由を奪っていく。それがどれだけ苦しいか、わかる人にはすごく響くんですよね。


自分を正しいと思いすぎてる危うさ

アンブリッジは、自分のやっていることを「正しい」と信じて疑いません。「省の方針に従っているだけ」「問題児を更生させているだけ」「嘘を防いでいるだけ」――どれも、表向きには正論に聞こえます。でも実際は、「誰も本音を言えなくなる空気」を作っている。

彼女は悪意で動いているわけじゃないからこそ怖いんです。本気で「これがホグワーツのため」と思って行動している。でもそれって、「違う意見を持つ人は敵」と考えることと同じで、ものすごく危険なんです。だから、本人に「自分が怖いことをしてる自覚がない」ことこそが、いちばんの問題なんです。


学校を「自分の城」にしたいだけだった

アンブリッジは「魔法省から来た先生」ってことで、最初は正義の味方っぽく見えるけど、どんどんホグワーツを「自分の王国」にしようとし始めます。先生を追い出して、自分の気に入る人だけ残して、生徒の部活動も禁止して、何をするにも「私に許可を取れ」って言う。

これってもう、学校じゃないんですよね。ただの「従わせるための場所」。生徒たちは勉強したり、成長したりしたいのに、アンブリッジにとっては「自分が支配できる空間」が大事だった。これは現実でもすごくある問題。組織の中で、立場の強い人が、「何のための場所なのか」を忘れて、私物化してしまう。アンブリッジの怖さは、そういう現実をまざまざと見せてくるところにあるんです。


アンブリッジが象徴してる「誰でもなりうる加害者」

ヴォルデモートは「闇の帝王」で、明らかに悪者です。でもアンブリッジは、「自分は正義のつもりでやってる人」なんです。だからこそ読んでいて怖いし、「こんな人、現実にもいるかも」と思わせられるんです。しかも、その怖さが身近で、ゆっくり心を蝕んでいくから、読者の中には「ヴォルデモートよりアンブリッジの方が嫌い」と言う人も多い。

映画の中でも、彼女の登場シーンにはピンクの服や猫の飾り、笑顔がたっぷり。でもその明るさが逆に不気味で、何をされるか分からない不安を感じさせますよね。この「かわいらしさで怖さを隠す」やり方が、まさに心理的支配そのもの。これは魔法を使わなくても成立してしまうから、余計にリアルなんです。


誰かを黙らせる力=最も危ない魔法

アンブリッジが使っていたのは、魔法そのものじゃなくて、「声を封じる」力でした。反論させない、意見を言わせない、何も教えない。そうやって、真実が語られるのを徹底的に防ぐ。それって、一番危ない力だと思いませんか?

しかもそれを、「自分は間違ってない」と信じながらやっているのが本当に怖いんです。こういう支配って、現実でもあるし、誰もが知らないうちに加担してしまうこともある。だからこそアンブリッジの存在は、物語の中だけじゃなくて、私たち自身の中にも問いかけてくるんです。「あなたは、誰かの自由を奪ってない?」って。


ダンブルドアとアンブリッジの決定的な違い

アンブリッジと対照的なのが、やっぱりダンブルドアなんです。ダンブルドアは、生徒たちに「考える自由」「話す自由」「選ぶ自由」を与えていました。たとえそれが危なっかしい選択でも、信じて待つ。そこには「支配しない強さ」がありました。

一方アンブリッジは、「安全そうに見える正しさ」を押し付けて、「勝手に動く人」は全員間違ってると決めつけます。この違いこそが、ホグワーツの空気を重くしていった原因でした。生徒たちが笑わなくなって、話さなくなって、自分を隠すようになっていったのは、ヴォルデモートのせいじゃなくて、アンブリッジの支配のせいだったんです。


最後に「森」に飲み込まれたのは偶然じゃない

物語の中で、アンブリッジは最後、森の中でケンタウルスに連れていかれてしまいます。これはただの「退場」じゃないと思うんです。人の自由を奪ってきた彼女が、今度は自分の言葉が通じない「自然の世界」に放り込まれる。それはある意味、「支配なんてできない場所がある」ということの象徴みたいに見えます。

しかも、助けようとする人はほとんどいなかった。あれだけのことをしてきたのに、「誰も味方がいない」って、支配の終わりってこうなるんだな…と実感しました。最後の最後まで、アンブリッジは「私は間違ってない」と思ってたかもしれないけど、その信念が誰も幸せにしなかったのは確かです。


アンブリッジが教えてくれた「魔法より怖いもの」

結局、アンブリッジの怖さって、「人の心をじわじわ支配していく力」だったと思います。魔法のように派手じゃなくて、誰でも気づかないうちに使ってしまうかもしれない力。それは、言葉だったり、ルールだったり、無関心だったり。

ヴォルデモートのような「明らかな悪」ではなく、「正義の顔をした支配」が一番怖い――アンブリッジの存在は、そんなことを私たちに教えてくれているのかもしれません。