許されざる呪文って、どうやって決められたの?誰が決めたの?
最初から禁じられてたわけじゃない?魔法界のグレーな歴史
『ハリー・ポッター』の物語の中で、「許されざる呪文」と呼ばれる呪文は3つあります。それが、「クルーシオ(磔の呪文)」「インペリオ(服従の呪文)」「アバダ・ケダブラ(死の呪文)」の3つ。でも、最初からこの呪文たちが“許されない”とされたわけじゃなかったことに、ちゃんと気づいていましたか?
小説にも映画にも、「いつ、誰がこの3つを“禁じた”のか」が明確に書かれているわけではありません。でも、物語の随所にヒントがあります。そしてそのヒントをつなぎ合わせていくと、次のような姿が見えてくるんです。
● 魔法省が公式に「許されざる呪文」として法律で禁じたのは、おそらくヴォルデモートの第一時代(1970年代)以降
● けれどそれ以前は、「危ないけど使っていい時もある」くらいの位置づけだった可能性が高い
● 実際、アバダ・ケダブラのような致死呪文は、古代魔法時代から研究されていた
つまり、「人を支配したり、苦しめたり、殺したりする呪文」が長い魔法の歴史の中で普通に“存在してきた”というのが、むしろ怖いんです。
じゃあ、なぜ突然「許されなくなった」のか?そこに、人間と魔法の倫理がぶつかる瞬間があると私は感じました。
ヴォルデモートが“悪の象徴”になって、呪文までが禁止された?
ヴォルデモートは「魔法による支配」を徹底していた存在です。実際、彼の手下(死喰い人)たちが一番よく使っていたのがこの3つの呪文。特にアバダ・ケダブラは彼の代名詞とも言えるほど、よく使われました。
だからこそ、魔法省は彼とその支持者たちが使っていた呪文そのものを**「悪の象徴」として扱い、法的に禁止するしかなかった**のです。
“何をしたか”よりも、“誰が使ったか”で評価が決まってしまうのは、現実の世界にもあること。でも、それってちょっと怖くもありますよね。
実は『炎のゴブレット』の中でマッドアイ・ムーディ(※偽者ですが)が授業中にこの呪文を使ってみせる場面があります。あのとき、生徒たちは震えあがります。けど、教師として「教育目的ならOK」という判断がされていたことになるわけで、完全に禁止されているわけではないとも言えます。
この“曖昧さ”が、魔法界のモラルのグレーさを浮かび上がらせます。魔法は「便利だけど、使い方を誤ると危険」という点で、核兵器に例えられることもあります。使うのは人間の意思だからこそ、その責任が問われるんです。
魔法省の動きと戦争による倫理の変化
第一次魔法戦争、そして第二次魔法戦争を通じて、魔法省の考え方も大きく変わっていきました。最初は「魔法を取り締まることよりも、ヴォルデモートの捕縛が優先」として、呪文の規制にはそれほど力を入れていなかったようです。
けれど、戦争が長引く中で、「許されざる呪文の使用」が拷問や洗脳、殺人を日常的に引き起こし、魔法界の“倫理の崩壊”を招いたことが次第に問題視されます。そこから法で呪文そのものを禁止するという動きが強まっていったと考えられます。
また、戦争が終わったあとに「戦争犯罪者」として捕まった死喰い人たちは、**この呪文を使ったこと自体が罪とされました。**これは、呪文そのものに“禁忌”というラベルが貼られた瞬間だったとも言えます。
ダンブルドアはなぜ使わなかったのか?
ここで不思議なのは、「ダンブルドアはどうしてこの呪文を使わなかったのか?」という点。彼はホグワーツで最も強力な魔法使いなのに、戦いの中でもこれらの呪文を一切使っていない(描写されていない)のです。
これは、彼自身が“力”に対して恐れを抱いていた証だと思います。彼が若い頃、妹の死に関わった事件で「力の使い方を誤った」と深く反省していたのは有名な話です。その贖罪の思いが、許されざる呪文のような“絶対的な力”を拒む姿勢につながっていたのでしょう。
だからこそ、作者J.K.ローリングは「この呪文はただの魔法ではない。人の倫理と尊厳に関わる問題だ」と私たちに問いかけているように感じます。
許されざる呪文って、誰が決めたの?どこで決まったの?
決めたのは“魔法省”だけど、実はすごく政治的だった?
物語に出てくる「魔法省」は、現実世界の政府とかなり似た構造をしています。法律を作り、取り締まりをし、魔法使いたちを管理する組織です。そしてこの魔法省の**“闇祓い部”が中心となって呪文規制を進めた**と考えられています。
実際、小説『不死鳥の騎士団』では、アンブリッジが「魔法省教育改善令」を次々に発令し、学校教育にまで政府の方針を押しつける姿が描かれています。つまり、呪文の禁止も“政治”によって決まったことがほぼ確実です。
けれど問題は、「何をもって“許されない”とするか」があいまいだったこと。
たとえば、同じく命を奪う可能性のある呪文でも、「レダクト(爆破呪文)」や「セクタムセンプラ(スネイプの創作呪文)」は許されざる呪文にはなっていません。なのに、アバダ・ケダブラだけがアウト。
これはつまり、「呪文の効果そのもの」よりも、「その呪文が使われた歴史」や「誰がどう使ったか」が判断基準になっていた、ということなんです。
“闇の魔術”って誰が線引きしてるの?実は全部が感情で決まってる?
ダンブルドアの台詞の中にこんな意味深なものがあります。
「“闇の魔術”というのは単なる分類ではない。それは人の心の中にある」
つまり、“闇かどうか”は、魔法そのものじゃなく、使う人の心に宿るということ。
でも現実の魔法省は、法律でそれを白黒つけようとした。とても危ない判断ですよね。
なぜなら、人の心は状況によって変わるから。
● 呪いを使って誰かを守ったら?
● 操りの呪文で戦争を止められたら?
● 磔の呪文で嘘を見抜けたら?
現実には、そういう場面もあるはずです。でも魔法省は一括して「この3つは絶対ダメ」と線引きをしたんです。たとえ“命を救うため”でも、使ったらアズカバン送り。これが、魔法界の危うさの象徴でもあると思います。
「呪文の禁止」より「人間の管理」が目的だった?
実は、呪文を禁止するというよりも、「呪文を使う人間を管理したい」=「反政府的な魔法使いを封じたい」という思惑があったように思えてなりません。
とくにヴォルデモートの時代、魔法省はその脅威に怯え、とにかく“危険そうな魔法”を事前に潰すことを優先していたように見えます。
だから、許されざる呪文が「許されざる者たちの象徴」として、“禁止の象徴”になった。呪文そのものが悪なのではなく、それを使うことで「敵と見なされる」時代だったわけです。
実際、スネイプは「アバダ・ケダブラ」を使っていますが、「ダンブルドアの計画の一部だった」として処罰されていません。それも、魔法省が“敵か味方か”で判断していた証拠です。
『呪いの子』でも感じた“禁止”の矛盾
『呪いの子』では、時間を操作する魔法(タイムターナー)や、過去改変の魔法が大きなテーマになります。でもその中で、「これを使ったから即罪人」とは扱われませんでした。
それと比べて、許されざる呪文だけがなぜ「絶対悪」とされ続けているのか?
ここには、魔法界が抱える“トラウマ”のようなものがある気がします。ヴォルデモートがもたらした恐怖は、呪文そのものへの恐怖と重なり、それが永遠に消せない「禁止」のレッテルになってしまったのだと思います。

