金光瑤(ジン・グアンヤオ)はなぜ薛洋(シュエ・ヤン)と組んだ?

なぜ金光瑤(ジン・グアンヤオ)は薛洋(シュエ・ヤン)なんかと組んだの?

一見、全然違うふたり。でも心の奥は似てた

金光瑤(ジン・グアンヤオ)と薛洋(シュエ・ヤン)って、初めてこの組み合わせを知ったとき、「えっ、なんでこのふたりが?」って思った人も多かったと思います。だって、ひとりは表向きは礼儀正しい仙門百家(せんもんひゃっか)の金氏の当主、もうひとりは無差別に人を殺して回るような恐ろしい悪党。その組み合わせがどうして成立するのか、信じがたいですよね。

でも、実はこのふたり――心の中にはすごく深い共通点があったんです。どちらも、ものすごく孤独で、どちらも「人から求められたい」「愛されたかった」っていう飢えを持っていました。そして、自分の欲しいものを手に入れるためなら、どこまででも手を汚すという覚悟を持っていたんです。

金光瑤(ジン・グアンヤオ)は、金氏の庶子で、父・金光善(ジン・グアンシャン)から長いこと認められず、ひどい扱いを受けて育ちました。自分の力だけでのし上がって、やっとの思いで金氏の当主の座まで上りつめた。でもその過程で彼が手にしたものは、本当の「信頼」ではなく、立場と恐れによる「従順」でした。つまり、彼のまわりには“本音でつながれる人”がひとりもいなかったんです。

薛洋(シュエ・ヤン)という“使える悪魔”の存在

そんな中、薛洋(シュエ・ヤン)の存在はある意味で、とても都合がよかったんです。薛洋は何より「力を持ちたがっている」存在であり、同時に「人に従う気はない」けれど、「利用されることを気にしない」人物。要するに、うまく操れれば、誰よりも強力な“手駒”になる。

薛洋もまた、他人に感情的な期待はしていないので、「使われてる」という感覚があってもまったく気にしません。むしろ「利用しあう関係こそが一番ラク」と思っていた節があります。だから、金光瑤(ジン・グアンヤオ)が自分を信用していないことも、最初から百も承知。それでも、互いに欲しいものが重なっていた。

それは「陰虎符(いんこふ)」と「義城(ぎじょう)」。

金光瑤は陰虎符の完全な掌握を目指していた。そして、その開発において薛洋の知識は必要不可欠だった。薛洋は陰虎符の構造を理解していたし、何より彼がもっていた「陰鉄(いんてつ)」の破片は、術式の実験に役立った。

一方の薛洋は、義城という“自分の理想の世界”を保つために、誰にも邪魔されたくなかった。そしてそのために「自分を守ってくれる後ろ盾」が欲しかった。つまりお互いに、“自分の世界”を守るために手を組んだということです。


アニメと小説で描かれ方はどう違ったの?

小説では「恐ろしいほどのリアルさ」で描かれていた

原作小説『魔道祖師』では、金光瑤と薛洋の関係はかなりリアルに、冷たく描かれています。金光瑤が薛洋のことを心の底から信用していないのはもちろん、薛洋の側も「こいつは裏切るだろうな」とちゃんと計算しています。

でもふたりとも、「裏切られること前提」で手を組んでいるんです。だから、“今のうちは”お互いに利益があるうちは、一緒にやっていけるという関係。怖いのは、そういうドライさがあるのに、どこかでほんの少しだけ、「似たもの同士」としての共感が描かれていること。

とくに、金光瑤が薛洋に「おまえ、曉星塵(シャオ・シンチェン)のこと、いまでも好きなんだな」って言うシーンは、小説だけにあるとても切ない場面です。薛洋は答えませんが、そのときの彼の無言は、金光瑤の内心にも、何か深く刺さっていたように感じます。

アニメでは少しマイルドになっていた

一方、アニメ版では、このふたりの関係はややマイルドに、でも不気味に描かれています。薛洋が表舞台にあらわれるシーンは少なく、義城編での彼の“過去”が中心。そして金光瑤との関係性はあまり深く語られません。

ですが、不夜天での最終決戦の場面では、彼らが同じ陣営にいたことがはっきりと示されます。つまり、「お互いが手を組んでいた」ことはアニメでも伝わるけれど、その裏にある「心理的な駆け引き」は、ややぼかされていました。視聴者が薛洋に感情移入しすぎないように、という配慮かもしれません。


最後、ふたりの関係はどう壊れたの?

利用し合う関係は、信じることとは違った

金光瑤(ジン・グアンヤオ)と薛洋(シュエ・ヤン)が組んだ理由は、お互いの目的のためでした。でも、その関係は最初から“裏切りありき”でした。つまり、どちらかがもう「相手は邪魔だ」と思った時点で、その関係は終わる運命だったんです。

小説では、この崩壊の兆しが少しずつ描かれていきます。金光瑤は、薛洋の存在がだんだんと「不安定な爆弾」に思えてきて、始末を考えるようになります。薛洋は薛洋で、義城(ぎじょう)という自分だけの空間を守るためなら、金光瑤すら殺してもいいと考えていた節があります。

でもね、どちらかが“先に動いた”んです。金光瑤は、薛洋の持っていた陰虎符の情報と陰鉄(いんてつ)の知識をすべて吸い上げたあと、彼を切り捨てる計画を立て始めます。それはもう、冷徹で残酷な計算でした。

薛洋は、これに気づいていたのか、それとも信じたかったのか。曖昧なまま、最後まで金光瑤の手のひらの上で踊っていたようにも見えました。

義城(ぎじょう)の真実が明らかになったとき

すべてのカギを握っていたのが「義城(ぎじょう)編」でした。魏無羨(ウェイ・ウーシエン)と藍忘機(ラン・ワンジー)が義城を訪れたことで、薛洋の過去と真実が少しずつ暴かれ、同時に金光瑤の裏での動きも疑われ始めます。

ここで、薛洋が本当に求めていたのが「星塵(シンチェン)と過ごした時間」だったことが、はっきりします。曉星塵(シャオ・シンチェン)を失ってもなお、その記憶だけで義城を保とうとする姿は、あまりにも哀しかった。

でもその「想い」を壊したのもまた、金光瑤でした。彼は薛洋の「心」を理解していたのに、その弱点を利用した。薛洋が大事にしていた義城を“使える研究拠点”としか見ていなかったんです。

その結果、薛洋の精神は崩れ、暴走していきます。最終的に、彼は不夜天の戦いで命を落とします。彼の死は、魏無羨の手によるものでも、藍忘機の剣によるものでもなかった。むしろ、彼を死に追いやったのは、「信じた相手に裏切られたこと」だったのかもしれません。


ふたりの共通点が、結局ふたりを壊した

どちらも「愛されたかった」けど、それがうまくいかなかった

金光瑤と薛洋は、本当に似ていたんです。心の奥に「誰かにちゃんと愛されたい」という想いを持ちながら、それを手に入れる方法がわからなかった。だから、力で人を支配しようとした。だから、自分が有利になるように人を利用した。

でも、そうやって築いた関係って、あたたかくもないし、安心できるものでもない。たとえ味方がたくさんいても、それは「信じてくれてる人」じゃなくて、「従っているだけの人」でした。

薛洋にとっての曉星塵は、唯一“自分を知らなかったからこそ”信じてくれた人。でもその信頼を壊してしまったのは薛洋自身。そしてその後、金光瑤に「自分を見ていてほしい」と心のどこかで願ってしまった。でも、金光瑤はそれを“弱点”として見ただけでした。

金光瑤もまた、誰かに本当に信じてほしかった。でも、ずっと信じてもらえなかったからこそ、自分も誰も信じられなかった。だから、薛洋の真っ直ぐな想いが見えても、それを受け止めることができなかった。


日本語版ではどう描かれていたのか?

訳文では関係の深さがやや控えめにされていた

日本語版の小説では、金光瑤と薛洋の関係性は、原文よりも少し間接的に描かれていました。訳者の方が「関係の濃さ」を強調しすぎないように、読み手の想像に任せる形で訳している印象があります。

たとえば、金光瑤が薛洋を「使い捨て」として見るくだりの訳では、原文よりもややニュアンスがやわらげられています。「切り捨てる」というより、「もう利用できないと思ったから関係を終わらせようとした」といった表現が選ばれていて、やや感情のトーンが調整されているんです。

アニメ版の日本語字幕でも、金光瑤と薛洋の直接的なやりとりはほとんどカットされています。そのため、日本語で『魔道祖師』を読んだり観たりしている人の中には、「ふたりの関係ってただの共犯じゃないの?」と感じる方も少なくないと思います。

でも、原作ではその何倍も深くて、何倍も冷たくて、でもどこか哀しい、そんな関係だったんです。