氷河期世代は人生終了?なんて言われるのはなぜでしょう?
氷河期世代って、そもそも誰のこと?
まず、「氷河期世代」とは、具体的にどの年代の方々を指すのでしょうか。ここを明確にすることで、彼らがどんな時代を生きてきたのかが見えてきます。一般的には、1970年代前半から1980年代半ばまでに生まれた方々を指すことが多いです。もう少し具体的に言うと、1970年生まれの方は2025年現在で55歳、1984年生まれの方だと41歳くらいになりますね。まさに、社会の中心で活躍されている、あるいはこれからのキャリアを考えられている世代です。
彼らが社会に出る時期、つまり大学や専門学校を卒業し、就職活動を始める頃と、日本の経済状況が大きく変動した時期が重なっていたことが、この世代の大きな特徴です。バブル経済が崩壊し、日本全体が「失われた10年」「失われた20年」と呼ばれる長期の経済停滞期に突入していく、まさにその入り口に彼らは立っていたのです。
「就職氷河期」という名の通り道
この世代が直面した最大の壁が、まさにその名の通り「就職氷河期」でした。この言葉が、彼らの人生にどれほどの重さで影響を与えたか、想像を絶するものがあります。
1990年代前半にバブル経済が弾けると、それまで右肩上がりだった日本経済は急速に冷え込みました。多くの企業は、それまでの拡大路線から一転して、リストラや採用抑制へと舵を切ります。新卒の学生たちは、極めて厳しい就職活動を強いられることになりました。
例えば、それまでは複数の企業から内定をもらうことが当たり前だったのが、たった一社からも内定がもらえない、という事態が頻発しました。求人数が激減し、一人の求職者に対して何十倍、何百倍という応募が殺到するような状況です。これはまるで、広大な砂漠の中で、たった一本の水を求めて何百、何千という人々が争うような、絶望的な状況だったと言えるかもしれません。
希望に満ちて社会に出ようとした若者たちが、どんなに努力をしても、どんなに優秀な成績を収めても、正規の職に就くことが極めて困難だったのです。一生懸命準備をして、期待を胸に社会に出ようとしたにもかかわらず、望むような職に就けなかったり、正社員としての道を閉ざされてしまったりした方が、決して少なくなかったどころか、むしろ多数派だった、と言っても過言ではありませんでした。
正社員になれなかった、その後の長い影響
就職活動でつまづいてしまったことが、その後の人生に長期にわたって、それも非常に深い影響を与えている、というのが「人生終了」なんて言葉につながる、きわめて重要な理由の一つです。
多くの方が、非正規雇用でのスタートを余儀なくされました。派遣社員、契約社員、アルバイトなど、正社員ではない形態で職に就くしかなかったのです。正社員に比べて給与や待遇が不安定なだけでなく、社会的な信用も得にくいという現実がありました。住宅ローンや車のローンを組む際にも、非正規雇用であることが大きな壁となるケースが少なくありませんでした。
さらに、非正規雇用の場合、スキルアップの機会も限られてしまうことが多々ありました。企業が従業員に投資する教育研修は、多くの場合、正社員向けに手厚く用意されています。非正規雇用の方には、その機会が十分に与えられなかったり、任される仕事の範囲が限定的で、多様な経験を積むことが難しかったりするのです。結果として、専門的なスキルや幅広い業務知識を身につける機会を逃してしまい、キャリアパスが描きにくくなるという悪循環に陥ることもありました。
一度非正規雇用になると、そこから正社員になるのは、想像以上に困難なことでした。企業は「空白期間」や「正規雇用経験の有無」を重視する傾向があったため、職務経験が正当に評価されにくかったり、年齢がネックになったりすることもあったようです。まるで、一度コースを外れてしまうと、元の道に戻るのがどんどん難しくなる、複雑に入り組んだ迷路のような状況だったと言えるでしょう。
失われた「経験」と「機会」の重み
単に「正社員になれなかった」というだけでなく、そこから派生する「経験」や「機会」の喪失も、この世代の置かれた状況を厳しくしています。これは、目に見えない、しかし非常に大きなコストとして、彼らの人生にのしかかっています。
新卒で正社員として入社していれば、企業内で様々な研修を受けたり、OJT(On-the-Job Training)を通じて実践的なスキルを身につけたりする機会が豊富にあります。若手のうちから責任ある仕事を任され、失敗を恐れずに挑戦し、そこから多くを学ぶことができる環境が与えられます。また、同期との繋がりや、先輩・上司からの指導を通じて、社会人としての立ち居振る舞いや、組織の中での協調性なども自然と身につけていくことができます。
しかし、非正規雇用の場合、そういった体系的な育成を受ける機会が少なかったり、任される仕事の範囲が限定的だったりすることがあります。結果として、キャリアアップに必要なスキルや経験を十分に積むことができず、年齢を重ねるごとに選択肢が狭まってしまう、というジレンマに陥る方もいらっしゃいました。これは、まるで大切な成長期に十分な栄養と光を与えられず、実力を思う存分伸ばせなかった植物のようなものかもしれません。根を深く張ることができず、少しの風で倒れてしまうのではないか、という不安を抱えながら生きているような状態です。
経済格差と社会保障と老後への不安
氷河期世代の中には、非正規雇用でのキャリアが長く続いたために、経済的な基盤が不安定なままの方も少なくありません。これが、老後の生活への不安という、非常に深刻な問題につながっています。
非正規雇用は、正社員に比べて給与水準が低いだけでなく、ボーナスや退職金といった福利厚生も手薄になりがちです。また、雇用保険や厚生年金といった社会保障制度においても、正社員と比較して保障が十分でないケースもあります。例えば、年金の受給額は、現役時代の平均報酬額に基づいて計算されますから、低賃金での勤務が長ければ長いほど、将来受け取れる年金額も少なくなってしまいます。
これは、将来の生活設計において、非常に大きな足かせとなります。十分な貯蓄ができないまま老後を迎えることへの不安、病気や介護が必要になった時の経済的な負担への懸念など、様々な不安がつきまといます。まるで、人生という長距離マラソンにおいて、スタート地点で十分な補給食も水も与えられず、他のランナーよりもはるかに少ない装備で走り続けなければならなかったような状態です。ゴールが見えない中で、体力が尽きてしまうのではないかという恐怖に苛まれることもあったでしょう。
結婚や出産、ライフイベントへの影響も
経済的な安定が得にくい状況は、結婚や出産といったライフイベントにも、非常に深刻な影を落とすことがあります。将来への不安から、結婚を躊躇したり、子育てを諦めたりする選択をされた方も少なくありません。
経済的な基盤が不安定な中で、家族を持つことへのハードルは非常に高くなります。住宅の購入、子どもの教育費、日々の生活費など、経済的な負担は計り知れません。また、キャリアが不安定なために、パートナーとの将来像を描きにくい、といった心理的な側面も影響したでしょう。
社会全体で少子高齢化が進む中で、この氷河期世代が本来であれば家庭を築き、次世代を育てる中心となるはずでした。しかし、経済的な理由でそれが叶わないとなると、個人の問題に留まらず、社会全体の活力にも影響を与えてしまうことになります。これは、まるで未来へ続くはずのバトンが、途中で途切れてしまうような、あるいは、次世代に受け継がれるべきエネルギーが、十分に充填されないまま途絶えてしまうような、そんな寂しさと危機感を伴う問題です。
社会の「空気」が与える心理的な影響
ここまで、具体的な経済的・社会的な側面からお話ししてきましたが、もう一つ見逃せないのが、社会の「空気」が与える心理的な影響です。これは、目には見えませんが、氷河期世代の心に深く刻み込まれてきた、非常に重い圧力でした。
就職氷河期を経験した方々は、「努力しても報われない」「自分たちは運が悪かった」といった諦めや無力感を抱いてしまうことがありました。当時の社会は、「自己責任」論に傾きがちで、困難な状況に置かれた方々への理解や支援が十分ではなかったことも、彼らの孤立感を深めた一因かもしれません。「頑張りが足りないからだ」「選ばなければ仕事はいくらでもある」といった、心ない言葉を投げかけられることもあったと聞きます。
このような社会の風潮は、彼らの自己肯定感を著しく低下させ、精神的な負担となってのしかかりました。まるで、凍てつく冬の風が吹き荒れる中で、ひとり立ち尽くしているような、あるいは、周囲から冷たい視線を浴びながら、自身の存在価値を見失いかけているような、そんな心境を映し出しているのかもしれません。中には、精神的な不調を抱える方も少なくなく、その後の人生に暗い影を落としてしまったケースも存在します。
「人生終了」という言葉は、そういった社会の冷たい視線や、自身の努力だけではどうにもならない状況への諦めが、凝縮されて表現されたものとも言えるでしょう。それは、彼らが経験してきた不遇な環境と、それに対する社会の無理解が混じり合って生まれた、悲痛な叫びなのかもしれません。
しかし、決して「終了」ではないということ
ここまで、なぜ「氷河期世代は人生終了」なんて言われるのか、その背景を、これでもかとばかりに詳しく見てきました。確かに、彼らが直面した困難は尋常ではありませんでしたし、その影響は今も続いている方もいらっしゃいます。
しかし、だからといって「人生終了」と断じるのは、あまりにも早計だと、私は強く思います。この世代の方々は、並外れた忍耐力と適応力を持っています。厳しい時代を生き抜き、数々の困難を乗り越えてきたからこそ、どんな状況にもしなやかに対応できる、他にはない強さがあるはずです。
彼らは、バブル崩壊後の不安定な経済状況、就職難、そしてその後の長い不遇の時代を、時には歯を食いしばり、時には工夫を凝らし、時には諦めずに道を模索しながら生き抜いてきました。その経験は、決して無駄なものではありません。むしろ、現代のような変化の激しい時代において、その「しなやかさ」と「レジリエンス(回復力)」は、非常に価値のある資質となり得ます。
今、そしてこれからの氷河期世代
近年では、政府や企業も氷河期世代への支援を強化する動きを見せています。これは、彼らが持つポテンシャルに、社会がようやく目を向け始めた証拠だと捉えることができます。
例えば、国や自治体による正社員化支援や再就職支援のプログラムが設けられたり、企業側もこの世代が培ってきた経験やスキルを改めて評価し、積極的に採用しようとする動きが出てきています。年齢やこれまでのキャリアパスにとらわれず、個々の能力や意欲を重視する企業も増えてきています。
また、情報技術の進化や働き方の多様化によって、これまでのキャリアパスにとらわれない新しい道も開かれつつあります。インターネットを通じて、個人のスキルや経験を活かしてフリーランスとして独立したり、これまでの経験を活かして全く新しい分野で起業したり、あるいは副業を通じて新たな収入源を確保したりする方も増えています。彼らが持つ「逆境を乗り越える力」は、むしろ新しい働き方やビジネスモデルを生み出す原動力となる可能性を秘めているのです。
人生は、決して一本道ではありません。たとえスタートでつまずいたとしても、そこからいくらでもやり直したり、新しい道を切り開いたりすることは可能です。氷河期世代の方々が培ってきた経験や知恵は、今の社会において非常に価値のあるものであり、若い世代にはない深みと広がりを持っています。彼らが持つ「困難を乗り越える力」は、これからの社会を支え、牽引していく大きな力となるでしょう。
諦める必要なんて、どこにもない
「氷河期世代は人生終了」という言葉は、彼らが経験した厳しい時代と、それによって生じた困難を象徴する、非常に重い言葉なのかもしれません。それは、彼らが味わった苦悩や、社会に対する不信感を内包している言葉だと、私たちは真摯に受け止める必要があります。
しかし、それはあくまで過去の一側面であり、彼らの人生のすべてではありません。私たちは、この世代が直面した現実を理解し、彼らが持つ可能性を最大限に引き出すための支援を、社会全体で考えていく必要があります。
そして何よりも、この言葉に込められた諦めや悲観的な気持ちを乗り越え、それぞれの人生を豊かにしていくための道を、共に探していきたいですね。人生は常に変化し、新しいチャンスが生まれるものです。氷河期世代の皆さんが、これまでの経験を自信に変え、これからを生きる力を再確認できるような社会にしていきたいと、心から願っています。

